事典の類の魅力的たること

 この世に本の数多あること。
 伝記、小説、評論、エッセイ、学術書、漫画、ライトノベル、絵本、et cetra……。

 その中に事典というジャンルがある。私はこれらの類が好きだ。
 大型本を両手で抱えて、あるいは膝の上に乗せてぱらぱら紙を送れば、びっしりとした字、見出し語、ものによっては図や写真で溢れている。

 事典を手にすることは、なんだか全知全能になった気さえ私に起こさせるのである。だって事典には、関連項目が網羅されているのであるから、その知の有機体を腕の中に、自分のテリトリーである本棚の中に収めることは、まるでそれらを自分に取り込んだみたいな気持ちになる。
 それが、まだ読んでいない段階でそう思ってしまうから恐ろしく素晴らしいのだ。自分はこれらをいつでも読めるぞ、いつでも網羅できるぞという可能態の事典で、失敬、時点ですさまじい自信を手にする。
 そう、私みたいな形から入る人間は特に、辞典の類が好きなのだ。

 事典の同音異義語に、「辞典」と「字典」がある。特に、「事典」と「辞典」の使い分けは混乱しがちである。
 こういう時こそ辞書である。広辞苑第七版を引こう。

【事典】――ことがらを表す言葉を集めて、その一々に解説を施した書物。事彙。「字典」「辞典」と区別して「ことてん」ともいう。「百科―」

【辞典】――辞書に同じ。「字典」「事典」と区別して「ことばてん」ともいう。「英和―」

【字典】――字書に同じ。字引。「辞典」「事典」と区別して「もじてん」ともいう。

 ことてん、ことばてん、もじてん。意図せず、響きのかわいらしい語に出会えた。

 さて「辞典」と「字典」の説明には「辞書/字書に同じ」と記載され、該当部が赤文字で表示されている。そしてそれを人差し指の爪でぐいと押し込む。すると画面は……。
 なんですか? ハイ。僕は高校生の時に母に買っていただいた電子辞書を使っていますが。だってそっちのほうが便利に思うものですから。こうやって項目のページリンクを踏んで移動することができます。さっき、手の中に云々と言っていたじゃないかって? ハイ。自分としては「事典は紙媒体」「辞典/字典は電子媒体」が好きなのです。

 やはりここでも区別が出てきた。さっそく電子辞書のページジャンプ機能を使おう。

 辞典→
【辞書】――①ことばや漢字を集め、一定の順序に並べ、その読み方・意味・語源・用例などを解説した書。辞典。辞彙。「―を引く」「英和対訳袖珍―」

 ②③④⑤⑥と複数続き、これらの内容も興味深いのだが省略させていただく。

 次。

 字典→
【字書】――①漢字を集めて、一定の順序に並べ、漢字の読み方・意味などを解説した書。じびき。字典。
 ②→字書①に同じ。

 どうやら辞書(辞典)と字書(字典)は近い位置にあるようだ。集めるものが、前者はことば全体に対し、後者は漢字だけである。
 一方、事典が集めるのは、「ことがらを表す言葉」である。そして説明は言葉に対してだけでなく、それが示す事柄に及ぶ。余計にややこしくなったかもしれないが、ざっくりとこのような理解で良いだろう。

 事典……物事の解説。
 辞典(辞書)……言葉の意味や読み方の説明。
 字典(字書)……漢字の意味や説明。

 ふむ。確かに辞典も字典も楽しいのだが、やはり私は「事典」が好きなのである。

 某日譲り受けた本の中に一季出版から出た『私が愛用する辞書・事典・図鑑』という本があった。平成四年(1992年)一月二十日刊行。当時、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手であった中沢新一氏監修のもと、一般からの応募原稿と編集部がその道のプロに依頼した原稿を合わせて一冊の本になっている。つまり、主婦や高校生、会社勤めの方の愛用本から、研究者や評論家のそれまで幅広く辞書や事典類の好みを知れる本である。

 もちろんそれぞれが好きなものを好き勝手賞賛する内容なので、ニッチなものが多く登場する。樹木事典、宝石事典、歌謡曲の剽窃に関する事典と、まったく私と趣味の合わない書き手だっている。そういうのは参考にならない。
 しかしながら、同じ辞書・事典を複数人の書き手が推薦することだってあるから、狙い目はそこだろう。
 ありがたいことに巻末に本書で登場した辞書・事典が索引になっている。これをざっと見て、該当ページが複数記載されている(つまり複数人が言及している)ものを探すと良い。

二人が言及……
・『幻獣辞典』晶文社(なんと柳瀬さん訳じゃないか)
・『現代独和辞典』三修社
・『廣文庫』名著普及会(大正時代に物集高見が編纂した百科資料事典。和漢書・仏書からの引用文を項目に分けて配列したもの)
・『ことわざ辞典』集英社
・『情報の歴史』NTT出版(あらゆる歴史的出来事が年表になっている)
・『新コンサイス和英辞典』三省堂
・『新選国語辞典』小学館
・『大漢和辞典』大修館書店
・『大百科事典』平凡社
・『日本語発音アクセント辞典』日本放送出版協会
・『ポケット百科事典』平凡社
・『身近な樹木ポケット図鑑』主婦の友社

三人が言及……
・『新英和中辞典』研究社
・『類語新辞典』角川書店

四人が言及……
・『広辞苑』岩波書店

 広辞苑かい。

 しかし譲り受けた本は押し並べてそうなのだが、情報が古い。絶版になっているものもあるだろうし、もっと良いものが出ている場合だってある。
 気になっているのは『情報の歴史』。幸い2021年に新版『情報の歴史21』が出版された。大好評の事典なのだろう。
 あとは類語辞典なんかも大好きだ。ここでは出ていないが日本語のシソーラスも欲しい。
 一人しか薦めていなくても私に刺さりそうな匂いのする辞典・事典だってある。『日本架空伝承人名辞典』『B級ニュース図鑑』『単位の辞典』『たべもの語源辞典』『イメージシンボル事典』などなど。

 一人しか言及していない事典の一つに『現代無用物事典』新潮社があった。そしてたまたまこの本も譲り受けたものの中に混じっていた。

 読んでみたがこれは事典じゃない。
 朝日ジャーナル(朝日新聞社が出していた週刊誌。1992年廃刊)の記者たちが書いた連載コラムのまとめだ。タイトル通り、現代の社会に存在するけど、いらなくないですか? というものを取り上げ、背景調査を挟みつつ愚痴る記事。
 読み手はこれを読んで、「わかるわ~」となり、うんうん頷く。つまりあるあるネタだ。みんな大好きである。

 しかし、この本発行が平成元年(1989年)。
 事典の項目からいくつか抜粋すると……

・五百円硬貨
・給料の銀行振り込み
・合否電報
・あまちゃづる

 前二つは、言葉の意味はわかるが、それがここに載っていることに疑問が生じる。後ろ二つに関しては、聞いてもぴんと来ない。
 読んでいても「あるある~」にならない。なるほど! この本は昭和末期の俗世間を知るのにうってつけの資料だったのだ。『現代無用物事典』はすでに「現代」ではない。

 五百円硬貨ができたばかりで、大きくて邪魔、千円札と百円玉でいい、だとか。給料は手渡しがいい、だとか。合否電報は、受験の合否を確認して受験生に電報を打つ業者がいたそうだ。今じゃ専用サイトに受験番号を入力して確認する。そしてそこらへんの雑草だったのに突如として万能の霊薬に成り上がったあまちゃづるという植物があったらしい。〇〇が△△に効く! という流行りは現代までも繰り返しているから共感できる。面白い。

 項目だけでなく、記事の節々に前時代的考え(当時の普通)が見られる。たとえばキュロットスカートは、「ミニスカートかなと思う男子の純情を弄ぶから嫌い」と無用物認定だ。現代でこんなものは書けない。読んでいるこちらも、苦々しい顔をした。

 事典・辞書は何度も参照するものであって、たまに読み通す猛者もいるけれど、あくまでちょこちょこと必要に駆られて捲るものだ。一度読んで終わりではなく、長い付き合いが想定されている。人生の伴侶といえる事典・辞典に出会えることはなんと幸せなことだろうか。

 現代ではインターネットで事足りることの方が多いが、ウェブに溢れる幾万のサイトは、皆別様の顔立ちをしており、調べる度に初対面だ。
「あの、すみません。これがわかんなくて、教えて欲しいんですけど……」
 よく引くジャンルについては、親友、恋人くらいラフに尋ねられる相手がいると良い。
「ねえ、これってどういうことだっけ。なんか知ってる? あ、そうそう、こういうの……」
 統一された特定の編者がいるということは、向こうの構え方が一定でこっちもやりやすいものである。

 事典は私の拡張頭脳みたいなもので、種々の事典を参照すれば一時的に全知全能__までは行かずとも物知りになれる。終わったら忘れるかも知れないけれど、いつでも参照できる場所にあるのでそこまで不安になることもない。
 事典が好きだ。辞書が好きだ。向こうも私のことを好きでいてくれると嬉しい。辞書からの愛は、調べたい項を一発で開いた時などに(勝手に)感じたりする。

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