はじめに
閲覧ありがとうございます。すずきです。
ギリシア神話で活躍する人物と言ったらもっぱら勇ましい英雄たちが思い浮かぶのではないでしょうか。
戦争も旅も男の世界。
女は家や祖国で愛する男の帰りを待っています。
あるいは女は、復讐相手の寝首をかこうとしたり虚偽の申告をして相手をおとしめようとしたり。
トロイア戦争の原因となった絶世の美女はいても、(女神は除いて)基本的に女性自身が華々しい活躍を見せるということは少ないです。
しかしそんなギリシア神話の世界にも彼女自身で術を為し人々に働きかけるような魔女が存在するのでした。
この記事では前編と後編に分けて、ギリシア神話に登場する二大魔女のキルケーとメーデイアをご紹介します。
前編の今回はキルケーさんについて。彼女はアイアイエー島に住む魔女です。
キルケーはそこまで怖い魔女ではないのでは?
オデュッセウスとキルケーのお話
キルケーの話が語られるのは主に「オデュッセイア」の中です。
トロイア戦争に勝利し、妻子の待つ故郷イタケー島への帰還を目指すオデュッセウス。
その苦難の航海の道中で、彼らはキルケーの住むアイアイエー島に漂着する。
くじ引きをして、エウリュコスたち二十三名の船員が島の魔女の様子をうかがいに行くことになる。
するとキルケーは船員たちに、魔法の薬が入ったチーズ、蜜、大麦、葡萄酒などを大きなコップで与えた。
船員たちが知らずにそれを飲むと、キルケーは杖で彼らに触れた。
すると船員たちはたちまち、オオカミ、豚、ロバ、獅子に変身してしまった。
エウリュコスは急いでオデュッセウスに報告。
オデュッセウスはヘルメス神から授かった魔法の霊草「モーリュ」を自らに用い、キルケーの魔法薬を無効化する。
キルケーを殺そうとした時、彼女は仲間たちを元に戻し、深い反省の意を示したのでオデュッセウスはこれを許す。
そしてオデュッセウスとキルケーとの間にテレゴノスが生まれる。
オデュッセウスはキルケーと一年間過ごし、航海を再開するのだった。
以上が、ざっくりとしたキルケーの話です。
ここでキルケーがしたことをまとめるとこんな感じ。
- 薬や杖で、旅人を動物に変える魔法をかけていた。
- その後反省し、「もうしない」と誓う。魔法を解いて解放する。
- オデュッセウスが次に進む航路についてアドバイスをする。
魔女というと、恐ろしい魔法で人々の命を奪い、不気味な呪文を唱え人々を恐怖させるイメージがありますが、ここでのキルケーはそこまでの恐ろしさはありません。
魔女というより魔女っ子の匂いがします。
キルケーについての他の言及
さらに彼女についての言及は他のエピソードでも見ることができます。
①イアソンたちアルゴナウタイの復路にて、アプシュルコス虐殺の穢れを、キルケーによって清めてもらう。
コルキスにある黄金の羊毛を目指したアルゴー船の冒険でもキルケーが登場します。
船長のイアソンは、羊毛ゲット後、コルキスの王女だったメーデイアとともに復路を始めます。
その折り、メーデイアの弟アプシュルコスを殺害します(後編にて記述)。
それに対しゼウスは激怒。嵐を船に送り込みます。
そして彼らが(中略)キルケーによってアプシュルトス虐殺から浄められなくては、ゼウスの怒りはやむことがないであろうと話した。彼らは(中略)アイアイアーに来り、そこでキルケーの嘆願者となって浄めをうけた。
アポロドーロス著 高津春繫訳『ギリシア神話』、岩波文庫、1954
ここでは、キルケーは罪を浄める役割を担っています。
(殺害の罪を犯した英雄が他国に赴き、その国の王に嘆願して浄められるという、一連の罪の浄化の流れは神話の中でよくあります。
それをキルケーも担っていた)
②クレタ王ミノスにかけられた呪いを「キルケーの根」で解除。
パンディオーンの娘プロクリスはケパロスという夫がいながら、ひょんなことから他の男と寝てしまいます。
それがバレてクレタ島へ逃亡し、王のミノスと出会います。
ミノスは彼女を抱こうとしますが、彼には正妻パシパエーによる魔法がかかっていました。
(パシパエーも魔女じゃん)
しかしいかなる女もミーノースと交わったならば、その女は生きて助かることができなかった。というのは(中略)〔彼が〕他の女と枕を交わすごとに、彼は獣をその関節に放射し、かくして女たちは死んだからである。
アポロドーロス著 高津春繫訳『ギリシア神話』、岩波文庫、1954
……私の読解力不足かつ無知なのか。獣をその関節に放射するとは何でしょう?
(おそらく最中に、ミノス王の身体から獣が飛び出してきて不倫相手を殺すのでしょう。この呪いが一番怖い)
とかく、そんな奇妙な魔法がかけられたミノス王に、プロクリスは「キルケーの根」という魔法アイテムを用います。
これが具体的にどういったものかわかりかねますが、とにかくキルケーが調合した秘薬なのでしょう。
このキルケーの根が効いて、プロクリスとミノス王は無事、目合うことができました。
この二つのエピソードを見ると、キルケーはやはり恐ろしい魔女のイメージはしません。
浄めたり、呪いを解いたりとむしろプラスのイメージさえ抱きます。
もちろんある! キルケーの恐ろしいエピソード
しかしながら、他の本を参考にしていくと魔女魔女しいエピソードが出てきます。
やはりキルケーはただの魔女っ子ではありませんでした。
キルケー恐怖エピソード①スキュラを怪物に変えた
スキュラはオデュッセイアで登場する、岩礁及びそこにいる怪物の名前です。
『オデュッセイア』においては、その外見は、
足のような翼が十二本、六本の巨大で長い首から獣の顔が生え出ており、歯が三列みっちり詰まっているとされています。
スキュラはオデュッセウスの仲間たちに危害を加える怪物ですが、もとは彼女は美しいニンフだったというのです。
ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』とオウィディウス『変身物語』に綴られたエピソードをご紹介します。
スキュラは元は美しいニンフだった。
彼女にグラウコスという男(オウィディウス曰く元人間の海神)が惚れる。
キルケーはグラウコスが好きだった。
嫉妬により、キルケーはスキュラがいつも海水浴をしている海に毒薬を撒く。
スキュラが普段通り海に身を浸すと、たちまち彼女の身体は化け物になってしまった。
ここではキルケーは嫉妬によって、スキュラに毒薬を用いて恐ろしい魔法をかけています。
キルケー恐怖エピソード②ピクスを鳥に変えた
こちらはオウィディウスの『変身物語』の十四巻320行から語られるお話です。
サトゥルヌス(=クロノス)の息子ピクスがアウソニアの地に王として君臨していた。
ピクスは、歌が上手なカネンスと呼ばれるニンフを愛する妻としていた。
キルケーはピクスに一目惚れ。愛の言葉を告げ、求愛する。
ピクスは愛する妻がいるので、それを退ける。
怒ったキルケーは魔法でピクスをキツツキに変える。
今もキツツキは、変身させられた怒りから木をゴンゴンつついているのだった。
この二つのエピソードでは
・振られたから
・相手を変身させてやった
という点が共通しています。
振られたから腹いせに仕返しをするという流れは、ギリシア神話では頻出ですが、霊的な力を以て相手を加害するのは、主に神々が行うことです。
人間にはせいぜい虚偽の申告をして貶めようとしたり、普通に刀で殺そうとしたりすることしかできません。
キルケーは人間でありながら、魔法の薬を使うことでそれができているというわけです。
(キルケーの父は太陽神ヘリオスですが、キルケーはあくまで死すべき存在の人間です)
「人間なのに、霊的な力を操れる女」というのが魔女たるゆえんなのでしょうか。
他にも彼女には夫殺しの話まであるそうですが、出典を見つけられていません。
オウィディウスでのキルケーの描写
上述のピクスの話を読んでいると、オウィディウスの『変身物語』では、アポロドーロスには無いような、おぞましいキルケー像が描かれていることがわかります。
詳細な呪文の唱え方だとか、振られた怒りから来る恨み節だとか、全てが叙情的に書かれています。
さらに、気になったのはこちらの部分。
キルケーとピクスの話を、キルケーの侍女がマカレウスに語るという形式をとっているので、ここでの「私」は侍女を指します。
すると、ご主人様は祈禱を始められて、呪いの言葉を口ずさみ、私の知らない神々に、何やら呪文を唱えて祈られました。
オウィディウス著 大西英文訳『変身物語 下』、講談社学術文庫、2023
ここではキルケーがさも異教の神々を信仰していると記述されています。
言うまでもありませんが、異教の信仰はすなわち、魔女・異端者というイメージに結びつきます。
先述した、「人間なのに霊的な力を操れる云々」というよりも、より直接的にいわゆる魔女としてのキルケー像が描かれている箇所だと言えます。
他の詩人にはそう言った描写は見られません。キルケーはヘリオスの娘ですし。(もちろんオウィディウスもそれはわかっている)
うーん。
彼女についてではなく、オウィディウス全体に言えることですが、オウィディウスの脚色がどこまで及んでいるかという点がやはり問題になってきます。
もはやギリシア神話のエピソードを考えるときに、オウィディウスを参照していいのかさえわからなくなってきました。
おわりに
着地点がズレましたが、今回はキルケーについて取り上げました。
個人的に魔女という存在が好きですから、ギリシア神話上の魔女を扱いたかったのです。
それでお察しの通り、
「(後編で扱う)メーデイアと比べれば、キルケーってかわいいもんだよね」
という方向で記事を進めていきたかったのですが、
オウィディウスのせいでそうもいかなくなりました。
キルケーは変身魔法しか使わないし、直接的に人を殺めた話もあまりないのでは。だから少しいたずら好きの魔女っ子レベルなのでは? と思った次第で書き出しましたが、そう上手くはいかないものです。
粉砕された先入見と仮定……。楽して記事を書こうとした私を神話は許さない。
実際に古代において宗教だったギリシア神話と、悲劇詩人やオウィディウスの脚色が入ったギリシア神話の関係性はどうだったのか。人々の間での扱いの違いはどのようなものだったのか。神話はいつから宗教であることを止め、文学になったのか。
これらはブログをかくうえでも、大学で勉強する上でも外せないテーマとなるので、また別途考えていきたいと思います。
とりとめもなくなりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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