パンドラの瓶(箱)に残った「希望」問題について

ギリシア神話

はじめに

閲覧ありがとうございます。
今日はパンドラの瓶の底に残った「希望」について、ゆるく考えていきます。

知らぬ人は少ないギリシア神話の一エピソード「パンドラの瓶」

「パンドラの箱」とする方が耳になじみますが、原文ではπίθος(ピトス)=wine jarで一般に瓶と訳されるので、パンドラの瓶とします。

「パンドラの瓶」あらすじ

まずはその内容を改めてざっくりと確認します。

・プロメテウスはゼウスを欺き、天界にあった火を盗んで地上の人間に与えた。

・激怒したゼウスは地上への罰として、鍛冶の神へーパイストスに、土から「女」を作るよう命じた。

(それまで地上には「女」というものがいなかった)

・作られた女は見目麗しく、さらにアテネを初めとしてあらゆる神から贈り物を受け取り、極めて魅力的な存在になった。

・パンドラと呼ばれるその女は、プロメテウスの弟エピメテウスの元へ送り込まれた。

・頭の良い兄と違い、うつけ者の弟は、兄から忠告されていたにもかかわらず、突如やってきたパンドラを妻にしてしまう。

・ある日、パンドラは大瓶の蓋を開ける

・そこからあらゆる災厄が飛び出していった

・パンドラが蓋を閉じた時、「希望」だけが縁に引っかかって飛び出さずに残っていた……。

この話は主にヘシオドス『仕事と日』の43行から語られています。

同著者の『神統記』にはパンドラという名前さえ出てこず、ただ「女」となっています。
他のギリシア神話集を見ても、プロメテウスの火盗みの話と、エピメテウスとパンドラの子孫のデウカリオンと洪水の話は多く語られますが、瓶からいろいろ出ちゃった話は見られません。

残された「希望」問題

 この話は、ヘシオドスや古代ギリシアにおける女性嫌悪の思想とマッチしています。
そのため
「女」の存在は人間(男)への罰であり、
「女」があらゆる災厄をもたらした
という話と読むのが一般的ですね。

この話の中で今も昔も変わらず議論されているのが、瓶に残った「希望」についてです。

私がはじめてこの話に触れたのは、子供向けのギリシア神話集でした。
そこではこの「希望」について

あらゆる災厄が地上に行き渡るようになったけれど、希望が残ったから私たち人間は前を向いて生きていけるね。(うろ覚え)

という旨で語られ、物語が締めくくられていました。

小学一年生の私は「そういうものね」としか思わなかったのでしょうけど、
この前読み返した時は、
「やけに前向きですね……」という少し冷めた感想を抱きました。

しかし、松平千秋先生による訳注によれば、ヘシオドスもそのつもりだったそうです。

ヘーシオドスがいわんとするところは明らかで、人間は諸悪に充ち満ちた世にありながら、希望のみを頼りに生きている、ということである。

ヘーシオドス著 松平千秋訳『仕事と日』、岩波文庫、1986 訳注

 さて、この「希望」ですが、訳されると、日本語の持つイメージがキラキラしすぎているので、本でも「エルピス」と原語のカタカナ記載も併せて為されている場合が多いです。

ἐλπίς(エルピス)の希英辞典での意味は以下の通り。

Ⅰー1 hope,expection(抽象的)
Ⅰ-2 the object of hope, a hope(具体的・個別的)

Ⅱ apprehension,fear

当然、日本語の「希望」とは一対一対応ではありません。

「エルピス」は善のものか悪のものか?

 希英辞典で見てみれば、希望という意味の他に「恐れ」や「不安」というマイナスの意味合いも含む事がわかりました。

 たくさんの災いが詰まっていた瓶なんだから、その中に一つだけ善のものが入ってるのってなんかおかしくない?
 やっぱりこのエルピスは、Ⅱの意味でマイナスのものなんだよ!

という意見が古くからあり、もちろんそれに対する、反対意見もあります。

 だって、それだけが残ったのだから、世界に放たれいった他のものとは質を異にしていてもおかしくはない。エルピスはプラスのものだ!

 うーん、どっちも頷けるような。

「瓶の中に残った=人間に残された」は本当か?

もう一つ別の軸が考えられます。

パンドラは種々の災いが瓶から飛び出していったのを見て大蓋を閉じます。

そのため、瓶の縁に引っかかって「エルピス」が残り、そのまま蓋をされます

『仕事と日』では、それはゼウスの計らいとされています。
(ゼウスが「エルピス」が瓶に残るように仕向けてその通りになった)

さて、ここでは、しっかり蓋がされていますよね。

災いたちは瓶から出て広がったことで、人間たちを苦しめるようになりました。

瓶の中にいたころは人間たちと無関係だったのに、出ちゃったから、人間たちにやってくるようになったということ。

なら残されて、蓋までされた希望は、逆に、人間たちと決別してしまっているのでは?
と純粋に思います。

パンドラ(女)の贈呈は人間に与えられた罰でした。
パンドラによって地上に災厄が放たれました。

そもそも彼女に関する一連の流れが人間への罰なのだから、
(「エルピス」=「希望」だとして)
ゼウスが「希望」を人間に与えてあげる情けもよくわからないような……。

いや、やっぱりなんだかんだゼウス様は情け深いのか? まあ、おかしくはないか。

うーん。悩む余地があるって楽しい。

おわりに:今のところの見解

議論が続いているのだから明確な答えは出ていません。
今のところは、教訓としてどう受け取るかという、読み手聴き手側の態度だけがあるのみです。

 おわりに、まだまだ無知なただの大学生の筆者の解釈を述べさせていただきます。

すずきは、そこまで二分しないで、「エルピス」を善でも悪でもない中性的なものと捉えます。
だから「希望」でも「恐れ」でもなく、単に「予測」程度のものです。
(これは結構メジャーな見解)

そして、瓶から出た出てない問題については、
瓶から出た=人間の与り知らぬ範囲に出ちゃった、人間の手に負えなくなった。
と捉えてみます。

 瓶の中の災いは飛び出すまで人間を苦しめることはなかったけど、瓶という人間の管理下を出てから、もうどうにもできなくなってしまった。
 だから人間は、「老い」とか「病気」とか「死」とかに対し、ただ受け入れるのみである。

 でも、残された「予測」だけはいろいろ立てられる。思いを巡らすことはできる。
もちろん、人間がどんな予測を立てていようと神々には知ったこっちゃないので、その予測は全然外れる

みたいな感じですかね。

もう少しいろいろの文献に触れれば、また意見が変わると思います。
みなさんはどう思うでしょうか。

余談ですが……

パンドラちゃんは自分が相手及び人間への罰だと自覚してエピメテウスの家の戸をノックしたのでしょうか。
たぶんなにも知らずにやってきてますよね。普通にエピメテウスと愛し合っちゃって……。
ここだけ見ると少し切ないお話でもあります。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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