はじめに
私がギリシア神話について記事にしたりまとめるうえで一番参考にしている本が、岩波文庫から出ている高津春繁先生訳のアポロドーロス『ギリシア神話』です。
こちら初版が1954年と、もう七十年も前のことでして、読んでいると「なんだこの言葉」という訳語に出会います。
ギリシア神話と直接的には関係ないけど、訳本を読んでいて、そういう語彙との出会いが今更ながら楽しいです。今回は個人的に気になった訳語と語彙をいくつか紹介します。
縊れた
高津先生訳で目に留まった語彙として挙げられるのが。
「縊れた(くびれた)」
ギリシア神話ではよく登場人物(だいたい女性)が、ショックのあまり自殺します。
〇〇はその事実を知ると縊れた。
という内容がもうそこかしこで頻出します。
ギリシア神話の女たち、すぐ縊れる。
首を吊るとはいうけど、「縊れる」は現代じゃあまり聞かないのに、見開きページで一回は縊れられると、もう覚えざるを得ません。
相撲った
まあ、「縊れた」くらいはいいでしょう。常用漢字外の漢字ですが、一般的な動詞のようです。
しかし今度は、一般的な動詞と言えるのでしょうか? それがこちら。
「相撲った(すまった)」
……はい?
意味はわかる。漢字が意味を語っている。
(サンキュー表意文字)
だからさらっと読み進めてしまうけど、「相撲った」って何? 読みは「すまった」でいいのか? 原形は「相撲う(すもう)」?
ヘラクレスもテセウスも、英雄たちの相撲うこと相撲うこと。
めちゃめちゃにされて
最後はエードーノス人の王リュクールゴスの最期にかんする描写に出てくる以下の訳語です。
物語の背景を簡単に説明しておくと、リュクールゴスは涜神のためディオニュソス神の怒りを買い、破滅の道を辿っているさなかです。
(彼=リュクールゴス)
エードーノス人はこれを聞いて、彼をパンガイオン山に連れて行って縛った。そこで彼はディオニューソスの意志によって馬にめちゃめちゃにされて死んだ。
アポロドーロス著 高津春繫訳『ギリシア神話』、岩波文庫、1954 第三巻,Ⅴ,1
馬にめちゃめちゃにされて死んだ。
めちゃめちゃにされて死んだ。
やっぱりギリシア語とかラテン語を語族の全く違う日本語に直すのは大変ですね。ギリシア語の授業などで和訳と照らし合わせながら講読していると、「○○先生は、ちょっとこれ、訳すの諦めてふんわりさせてるね」と指導教諭が零すことがあったのを思い出しました。
おわりに
ギリシア神話に限らず、海外の古典を買うぞっていうとき、やっぱり新訳があるとそっちを読みたくなるじゃないですか。
新しい本の方が読みやすい気がするから。
でも原語のテクストは作成当時からある程度不変なわけで、当然新しい訳の方が正しいというわけでもありません。
こうやって面白い言葉に触れられるのも昔の訳本の楽しいところ。
大学で勉強をすると、「訳本じゃなくて原典で読みましょう」と言われます。
もちろん私もそれが良いと思い必死にギリシア語や西欧諸語にかじりついていますが、訳文ならではの面白さってありますよね。
最近は辻直四郎先生の『リグ・ヴェーダ讃歌』を読んでいますが、日本語が難解を極めていて、読み方に毎度詰まります。岩波文庫のあの、古めかしく厳かな雰囲気が読みにくさを助長します。
対し、光文社古典新訳文庫は非常に読みやすいし、文字も比較的大きめ。
しかし私のいる学科では光文社古典新訳文庫よりも岩波文庫の方がカッコイイという風潮も滲みます。岩波文庫にはカバーをかけないのに、光文社古典新訳文庫にはカバーを被せ、あのぐにょぐにょ糸人間を隠蔽します。
以上、雑記にお付き合いくださりありがとうございました。
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