中二病患者の現実の受け入れ方 ~能動的中二病たれ~

はじめに:トリップという名の自殺

 こんにちは。すずきです。
 神話や宗教について関心を持ちながら、私立文系大学でお勉強しています。

 さて、小学生、中学生、高校生の自殺率は一般に4月、9月辺りにピークを迎え、令和4年(2022年)ですと、514人が自死を選択しています。(こども家庭庁提出資料pdfより)

「いじめ(と言う名の諸犯罪)」が原因のものもあれど、全部が全部そうではなく、人間関係や家庭の悩み、成績、学力、部活動ら複数の面での歪みが引き起こすのがほとんどでしょう。
 自殺の原因の六割は不明とされています。(認定NPO キッズドアのHPより)

 実際に実行に移さぬまでも、程度の差こそあれ、子供の思考の中に、「自殺」の二文字は以外と居座っています。

 私がここでもう一つ、特筆したいのが、ライトノベルやマンガ業界における「異世界転生もの」の隆盛です。
 冴えない人生を送っていた主人公が事故・事件、あるいは自殺で今世を終え、異世界に生まれ変わり、転生前に持っていた知識などを駆使しながら無双するというストーリーラインになっており、これが大流行しているわけです。

 この二つが組み合わさったところに、「二次元へのトリップ(転移)」というものが顔を出します。

 上手くいかない人生に嫌気が差した人たちの内で幾人かは、漫画やアニメの世界に強く憧れ、そこへ転生、トリップすることを願うようになります。キャラクターへの恋愛感情も、その感情を促進します。
 こうした需要に応える形で、「二次元に行く方法」と題したおまじないがインターネット上に蔓延り、都市伝説と化しています。おまじない程度ならいいのですが、やはり自殺を手段としてしまう子供もゼロとは言えないと私は思っているのです。

こんな人生じゃなくて、〇〇(作品名)の世界に生まれ変わって、幸せになりたい。
でもそれは、この世においては不可能だ。
だから自殺が視野に入ってくる。

 しかしながら、死んだとて望み通り異世界に行ける保証はありません。自死は生命において最も重たい選択であり、「じゃあ、死ねばよくね?」で選べるほどのものではないのです。

 このような社会的背景と、以上と全く同じ状況にいた私の経験とを踏まえてこの記事は書かれました。
 ここではわかりやすく、キャッチーにするために「中二病患者」という言葉を用いていますが、異世界への憧憬を抱き、この世に絶望している人たちに向けた「まだ死なないで」というメッセージです。

中二病患者にとっての「現実」

中二病は生きづらい……

 中二病はもうすっかりメジャーな言葉となりました。一応、デジタル大辞泉では、語義を
「思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄する俗語」
としています。

 しかしここではもっと具体的に、魔族の生まれ変わりとか、炎を操れるとか、「いわゆる中二病」をイメージしていただきたいです。

 筆者の体験も加味して考えると、だいたい小学校高学年~高校生の年齢層が、その範囲にかかってきます。思春期が終わると同時に中二病の症状も治まってくることが多いです。

 つまり、皆、遅くとも高校生くらいで、
「もしかして俺って、封印されし魔族の末裔ではない?」
「天使の血を引いた私を、龍族の王子の生まれ変わりの男性が探し出してくれる……わけではない?」
 と気づき出します。

 受験、就活、王子とはかけ離れている恋人……という現実が容赦なく訪い、中二病患者は目を覚まさざるを得なくなるのです。

諦め型中二病

 さらに昨今は中二病に罹りきることさえ困難になりました。

 かつては高校生くらいで中二病の世界から脱し始めたのに、今では大人の世界の生々しさがSNSやインターネットに溢れる言説を通して幼い頃から心に入り込むので、中二病の世界に浸りきれない「諦め型中二病」に変わっているのです。
 「私は〇〇のはずなのに、上手くいかない」と世界に裏切られたような気になり、諦めが漂うのです。

突きつけられる現実

 親は毎日会社やパートで働いて、土日はのんびりテレビを見たり趣味をしている。親でなくても、学校の先生や関わる大人は、それぞれの仕事と生活を送っている。
 もちろん彼らの手から魔界の炎は出てこないし、人々の傷を治癒する歌も歌えません。戦いもないし、世界をかけた恋愛も行われません。会社と家、学校と家の往復の中、ささやかな楽しみが生きる意味の暮らし。
 それが自分の将来の姿だと、突きつけられる苦しみ! 現実はこうも、のっぺりしている。のっぺりしたまま、何もせずに老いて死ぬのだ!

 この事実に絶望し、私も中学生の頃は、異世界へのトリップ方法を調べては、親に隠れて毎晩実践しました。それでもことごとく失敗、「この世」はどこまでも私たちを離してくれません
「死ねば良いのかな。でも少し怖いな」と頭の中はぐるぐる状態でした。

 まあこんなことをやっていくうちに気づいたら、目の前の出来事への対処に追われてだして、多くの人の中二病は治るそうです。

解決策:能動的中二病

 私は治ってません。大学4年生の今も中二病罹患中です。それでも中学生・高校生のころよりかは楽になりました。
 というのも、「ある日突然、能力が目覚めて人生が変わる」というようなことは信じなくなったからです。

 それはあまりにも受動的です。可能性は限りなく低いし、それを待ち続けている間は、普段通りの単調な生活が続きます。少なくともその間は諦めの絶望感に支配されて苦しいでしょう。
 絶望して考え抜いて、ついに私の中二病は、「この世」の受容とともに、次の段階へ進んだのです!
 ズバリ「能動的中二病」です!

 これが本記事で、中二病患者にお勧めする、現実受容と中二的志向を両立するための考え方になります。

 「中二病×自己啓発」みたいな感じかな。

 中二病の皆さん、トリップという名の自殺をしてしまう前に、「能動的中二病」にシフトチェンジして、自分を殺さず処世しませんか?

能動的中二病とは?

 元来、中二病というものは、非常に受動的なものです。自分が優れている根拠が、先天的な外因的なものに置かれているように思えるのです。
 魔族の生まれ変わり。〇〇な家庭で△△の英才教育を受けた。〇〇に謎に気に入られている……などなど。

 一方、能動的中二病は、その名の通り、自ら積極的に行動し、自ら憧れるようなキャラクターになりに行く(=後天的に)人生観です。

「マンガの世界には行けないし、この世から逃れられないのだから、この世をマンガの世界にしてやる。私をマンガの主人公にしてやる。私の一生をマンガのストーリーにしてやる」
これが、能動的中二病です。

 では受動的中二病と能動的中二病とのギャップを埋めるために、まずは中二病患者の抱く、漫画やアニメなどの二次元への憧れの気持ちを紐解いていきます。

 漫画やアニメに憧れる気持ち①刺激的

 中二病患者は、漫画やアニメの世界に憧れます。特にジャンプ系、あるいはライトノベルなど。
 主人公は、現実ではあり得ない能力でバトルし、仲間とともに目的を達成します。魅力的なキャラクターたちとの笑いあり、涙ありの道中です。

 そのシーンは大概「刺激的」ですよね。しかし私たちの現実は、家と会社、家と学校の往復で単調に見えます。刺激がないのです。だから、現実とフィクション世界との違いにゲンナリするのです。

 しかしながら漫画・アニメで描かれるシーンが刺激的なのは当たり前です。
 そう言ったものは「刺激的なシーン」の抜粋&つなぎ合わせだからです。

 学園アニメの主人公たちも、電車に揺られながら通学しています。異世界ものでも、同じ敵を倒し続けレベル上げをしています。
 憧れの主人公たちにも確実にこういった単調な時間が存在しています。しかしそれを見せられても読者にはつまらないからカットされています。

 この事実を逆に捉えれば、
「現実に生きる私たちも、刺激的なことをすれば漫画やアニメの主人公たちになれる」
のです。

 刺激的なことをすることで、トリップせずともまるでフィクション世界の住民になるのです。今私たちがいるこの世を、自分が主人公として活躍する漫画・アニメの世界とするのです。

 漫画やアニメに憧れる気持ちを探る②異能力

 では、そうだとして、それでも手に入れられないものがあります。それはファンタジー系の作品で描かれるような、魔法、異能力です。

 実際の因果性を無視した運動は、たしかにこの世では手に入れられません。

 でも本当にそう言ったものがどうしてもほしいでしょうか? 本当にほしいのは、具体的な能力自体ではなく、それができることによる自分の希少価値ではないでしょうか。

「水を操る能力があったら、食器洗うの一瞬だろうな。ああなんで、私にはその能力がないんだろう」
 みたいな人は、現実に強く絶望しないはずです。そして、そんな人には、高性能な食洗機をお勧めします。

「お前の水を操る力がパーティに必要なんだ!」
「何だ、その力は……まさか〇〇しようっていうんじゃないだろうな!」
みたいなのが言われたいのであって、実のところほしいのは、
・希少価値
・人と違う優越感
・自分を認めてくれる、求めてくれる仲間
(彼らも人とは違う抜きん出たすごいやつら)
 だと思います。

 私の場合は強くそうです。その他大勢に埋没したくない、特別になりたい……つまり自分の唯一性を求めています。

 今までの教育は個性を潰すものだったのに、「個性的な人がかっこいい」という風潮がありますから、こういった超能力といった手っ取り早い特殊性に憧れるのです。
 これ自体悪いことではありません。

能動的中二病の方法

 特殊性と刺激が、フィクション作品への憧れの要素としてあげられました。
 この二つが揃って初めて、フィクション作品っぽくなります。

 繰り返しますが、能動的中二病は、
「この世をマンガみたいな世界にしてやる。私をマンガの主人公にしてやる。私の一生をマンガのストーリーにしてやる」
という考え方ですので、特殊性と刺激を、この現実世界において満たすことが必要になります。

方法①刺激の生み出し方

 刺激的に生きるには、自分から、普段とは違うものに触れてみることが必要になってきます。違和感を感じに行くみたいな。

 自分から普段とは異なる言動をしてみるのです。不思議なキャラクターとの出会いを待つのではなく、自分が不思議なキャラクターかのようにぶっ飛んだ行動をしてみる
 そうすることで徐々に、普段の振る舞いや時間の流れを壊していくのです。

 普段の暮らしにメタ視点(読者の視点)を導入し、常にシーンとして捉えるのです。いつも通り、横になってインスタグラムを流し見しているシーンは、マンガやアニメならたちまちカットです。
 人生の中で、カットされそうなシーンの割合を減らしていくイメージですね。

 憧れのキャラクターがいるなら、その真似をしたって良いのです。
 その場合、左手の甲に紋章を書く、よりも、そのキャラクターの行動を真似るのが好ましいです。よく木の上で昼寝をしているのなら、木登りしてみるとか。(私はすぐ落っこちそうになりましたが)

 手始めには、この程度で大丈夫です。

 痛いと言ってくるヤツらは軽くあしらってください。

方法②特殊性の生み出し方

 とはいえ、刺激に関しては、アニメキャラたちも刺激的でない場面を少なからず送っているので、完全に無くすことはできません。

 より考えるべきは、「特殊性」の方です。

 当然、水を操るなどの異能力は現実では会得できません。

 ということで、私たちは、現実に物理的に起こりうる形での「特殊性」を掴む方向へ進み出します。
 
 ここで、見落としがちなのは、「何を特殊性だと見なすかには、主観が大いに関わり、相当な振れ幅がある」ことです。

 水を操る能力は、全員が満場一致で特殊だと思い羨みます。水を操るのは、人類の能力の限界をこえているからです。
 ですがそう言った人類にできないことを除けば、特殊性は自由です。
 自分にできることの中で、人と違っているところを尖らせれば、特殊性とすることができるのです。

 特殊性は自分で意図的に作り上げられます。ダリも「天才を演じ続けると、天才になれる」と言ってますしね。

 人と違うようになるのに手っ取り早い方法は、それを選ぶ人が少ない道をとることです。

 当然のことですが、難しいことです。
 多くの人が選ぶ選択肢は、それがより相応しい、社会でやっていきやすい、生きやすいからです。周囲からも社会からもそうするように無言の圧力をかけられています。人生にマニュアルがあったとしたら書かれているだろう道です。
 そうじゃない道は、一見惨めかもしれません。でも、それゆえに刺激的でしょう。

 自分で定めた特殊性を磨きとがらせ、刺激を求めて多数派の逆を行く。
 これが自分をフィクション作品の主人公にする方法だと思っています。特殊なヤツの日々は否応なしに刺激的になってくるし、刺激的な日々はさらに貴方の特殊性を尖らせてきます。

 もちろん、全ての選択において少数派になれというわけではありません。
 「朝ご飯は、ところてん派。なんてマイノリティなんだ俺は!」
 ……こんなレベルまでやっていてはキリがありません。

 だから「どこで少数派を行くか」という自分の特殊性の選択は、自分の趣味と価値観で決めていいのです。この点が、先ほど述べた、主観性や振れ幅というものになります。
 とりあえず、決めてみてください。

 私の場合は、
 企業に就職しないで最低限の暮らしを送りながら、一見無益な、神話や魔術に関する研究をすることだったり、
 小説を書くことだったり、
 ちょっぴり奇抜なファッションを着たり、耽美主義者を気取ってみたり……

 ひとつひとつは、そこまでマイナーでなくとも、少数派の要素が掛け合わされると、唯一無二の人になります。

 ……むむ。
 こうやって挙げてみると、完全に趣味や価値観ですね。
 少数派だからそうしたのではなく、むしろ、そうしたいのを、多数派じゃないからという理由で抑圧しなかった、というのが適切ですね。
 結果として少数派だった、みたいな。

 これだけだと、もともとの趣味嗜好が少しマイナーだった、という範疇に留まってしまうので、もう少し私の例を出すと。

 種族自認は吸血鬼です。吸血鬼なのに、なぜか人間の身体に乗り移ってしまったので、魔女という立場に身を置いて、なんとか人間の生をやり抜こうと頑張っています。
 人間の身体になったら、日光もにんにくも克服しました。以前ほど魔力が思うように出ないのが困りものですが、そのおかげか、人間社会へも上手く擬態できているみたいです。

 まあ、こんな具合です。これくらいのレベルまで特殊性を引き上げちゃって構いません。中二病は治さなくていいのです。

・少数派の道を躊躇なくとる
・自分の設定を決める

 実際には他人から羨まれないことでも、その特殊性を誇って、勝手に優越感に浸ればいいのです。そうやって自分に酔えばいいのです。
 もしかしたら、特殊性を尖らせた結果、憧れてくれる人が出てくるかもしれません。必要としてくれる人が出てくるかもしれません。そうなったら万々歳、程度で。

 おわりに:自分の人生を作品にせよ

 自分の人生を一つの作品として捉え、その作者兼主人公となる。
 物理的に可能な範疇という制限はありますが、これが中二病の処世マインド、「能動的中二病」だと思います。

 生きやすさの逆を行くだとか、刺激を求めて外に出るだとか、言ってきました。
 もしかしたら、「お前が(私立大学に通わせてもらえるほどの)比較的裕福な家の生まれで、今はまだ学生の身だから夢を見れるんだ」というご指摘があると思います。

 大いにその部分はあると思います。これから先、どんな苦悩が私を待っているか想像もつきません。
ですが、「人生のフィクション作品化」という土台は、どこにいてもどんな環境でも忘れたくないと思います。この考えの基礎、能動性と圧倒的メタ視点こそが、つらい現実に隷属する心を守るだろうからです。

 私はこの精神を意識しだしてから、だいぶ生きやすくなりました。まだ完全には実践できていませんし辛くなることもあるけれど、一つひとつ、思い返しては今日も生きています。

 この記事が響く人が何人いるかわかりませんが、誰かに届きますように。
 あなたが思うほど、この世界はつまらなくないです。変な奴らも、見えないだけでこの世にはたくさんいて、キャラクターはキャラクターと引かれ合うと思っています。

 初めは孤独で痛いヤツ認定でも、貫けば出会えます。仲間が増えます。そうしたら立派なパーティも作れます。そうなってきたら、表紙の構図でも考えましょうか。タイトルはどうしますか。作者はもちろんあなたです。

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