はじめに:あなたの推し英雄は誰ですか?
半神半人のデミゴッドたちが群雄割拠する英雄の時代。ガイアが悲鳴を上げるほどに、人間は増え、英雄もわんさか登場する時代。
ギリシア神話を読んでいたら、みなさん推し英雄の一人や二人くらいできるでしょう。
あるいは、ソシャゲなどでイケメンのイラストで描かれて、容姿に一目惚れして推しはじめるケースもあるかもしれません。
本記事では私が最も好きな英雄カイネウスの話をちょろっと語ります。
不死身の英雄、カイネウス君
カイネウス君とは、テッサリア地方で名を馳せた英雄。
英雄たち寄せ集めエピソードであるアルゴー船の冒険やカリュドーンの猪狩にも名前が登場するザ・英雄の一人です。
カイネウス君の一番の特徴は、女から男へ性転換したことです。
ざっくりカイネウスの物語を紹介
(以下のあらすじは、基本的にオウィディウス『変身物語』をベースに書いています)
カイネウスはもともとは地元の男子全員から求婚されるほどの美女で、名もカイニスと女性名でした。
しかし彼女は誰のものにもならないで、愛を拒み続けていました。
そんな美女カイニスちゃんに迫ったのは何も人間だけではなく、海神ポセイドンも彼女に虜になります。
そして無理矢理抱く。
ショックを受けたカイニスは、賠償として「男への性転換」をポセイドンに望みます。
それは聞き届けられ、カイニスちゃんはカイネウスくんになりました。
その時同時にポセイドンはカイネウスの身体を「不死身」にしてあげました。
あらゆる刃を通さないがちがちの身体になったのです。
そうすることで、誰も彼には何の傷もつけられなくなり、最強の英雄がここに爆誕。
カイネウスは先述のような英雄に相応しい業績を各地で上げ、勇ましく生きます。
しかし悲劇が起こります。
それはテッサリア地方の王ペイリトオスとヒッポダメイアの結婚式での出来事でした。
ひょんなことから、結婚式に参列したラピタイ族とケンタウロス族の間で戦闘が勃発し、式場は瞬く間に血なまぐさい戦場へと一変します。
※ケンタウロスについての記事で触れているのでご参照ください。こちらからどうぞ。
カイネウスもラピタイ族なので人間側でケンタウロスたちとやり合います。
そう、不死身のカイネウス。
ケンタウロスたちが武器でもって彼を叩いても、刃はその身体に砕かれ散り散りになってしまいます。 まさに歯(刃)が立たない!
「本当は女のくせに!」と 屈辱を感じたケンタウロスたち。
彼らがとった手は、集団でカイネウスを圧死させることでした。
そこら中の木々をもぎとると、ケンタウロスたちは隙間なく、カイネウスを大木で押しつぶし地面に埋め込みます。
身体に傷はつかずとも、カイネウスはその圧に堪えきれず、埋もれ窒息死してしまうのです。
『変身物語』では、このときカイネウスの上にのっけられた木々の隙間から、黄金の鳥が羽ばたいたと記されています。
黄金の鳥はラピタイ族がいる辺りの上空を旋回し遠くへ飛び去っていきました。
(オウィディウスはこのカイネウスの話を、カイニス→カイネウス、の方だけでなく、カイネウス→黄金の鳥という変身として扱い収録したのですね)
ラピタイ族はもちろんブチ切れ。ケンタウロス族を蹴散らすのにいきり立ちます。
カイネウスのお話は胸糞が悪い
カイネウスの神話の胸糞悪いポイントは、主に3つ。
①ポセイドンにレイプされ、「もう二度とこうやって犯されることがないように」という理由で性転換を望んだこと。
『変身物語』ではこうなっているけど、異伝には、性交させる条件としてカイニスが提示したとするものもあります。
とはいえどちらにせよ、彼女が地元の男たちからの求婚を拒んでいることからもわかる通り、カイニスは、男を受け入れるものとしての女にはなりたくなかった。
ポセイドン相手にそれは拒めずに、仕方なく賠償/条件を提示したのでしょう。
②ケンタウロスたちがカイネウスを「元女」だとして侮辱すること。
ケンタウロスとの戦闘の最中、カイネウスに、もともとの性別を揶揄する言葉が投げかけられます。 以下はケンタウロスの一人、ラトレウスの放った言葉を引用。
『やい、お前、カイニス、俺は相手がお前で甘んじねばならぬか。お前なんぞ、俺にとっては、いつまでも女、これからもカイニスにすぎぬからだ。お前のそもそもの生まれを、お前は忘れたか。お前が、何をしてその褒美を貰い、何の代償を払って、見かけだけのその男の姿を手に入れたか、思い出さぬか? さあ、見ろ、お前が生来女だということを、お前がどんな目に遭ったかを。とっとと失せて、糸巻き棒と羊毛籠を手に取り、指で捻って糸でも撚っていろ。戦は男に任せておけばいいのだ』
オウィディウス著 大西英文訳『変身物語 下』、講談社学術文庫、2023
長い引用になりましたが。
辛くてため息が出ます。カイネウス君はこの後、しっかりラトレウスをぶちのめすのでそこはスカッとできます。
③ケンタウロスたちが寄って集ってカイネウスを押しつぶすところ。
槍や剣じゃ敵わぬからと、最後にケンタウロスたちは集団でカイネウスを押しつぶします。
集団で、一人を。
カイネウスはたくさんの木の下でもがき、脱しようとするけどのしかかる重みは増すばかり。
空気の隙間さえなくなり次第に呼吸ができなくなります。
オウィディウスの細やかな表現(と、それを綺麗に訳してくれている大西先生)のせいで、読んでいて胸が張り裂けそうです。
(他の神話集のドライな表現だとここまではならないと思われます)
しかしながら、これほど胸糞の悪いエピソードでありながら、だからこそカイネウスの強さと美しさが際立ち、魅力的な英雄像を作り上げています。
個人的には、不死身になる前から、彼女ー彼は自分の人生を自分で選んでいる感じがして好きですし、ラトレウスの酷い挑発に乗っからずに、しっかり確実に剣で仕留めているところもかっこいいです。
さて、現代においてこの神話はフェミニズムなんかと結びつけられていそうですね。
カイネウス神話についての心理学的考察
この神話はだいぶマイナーな部類に入るでしょうが、和書で詳しく考察されている本を見つけました。
それが ジョルジュ・ドゥヴルー著 加藤康子訳『女性と神話:ギリシア神話にみる両性具有』、新評論、1994
この本で一章分カイネウスが取り上げられており、そこでは心理学的な見方でこの神話を考察しています。私は心理学には不案内ですが当著書でのカイネウスの記述を見ていきます。
※以降、終始、ジョルジュ・ドゥヴルー著 加藤康子訳『女性と神話 ギリシア神話にみる両性具有』、新評論、1994
の
第三部 半女神たち 第Ⅷ章 カイニス-カイネウス
に基づき、文中の表現を、(筆者が解したなりに)自分の言葉で要約したり簡略化したりして書かれています。
その他の部分に関しては都度引用元を明記。
『女性と神話 ギリシア神話にみる両性具有』について
前提として、この著書について一言で述べると
この本は、民族精神医学で著名なドゥヴルー氏が相補主義というやり方で、ギリシア神話の各話を分析・考察していく論文集です。
この相補主義っていうのが、私は全く馴染みがなく理解が難しい。
ありがたいことにアラン・ロシュ氏による「日本語版のための解説」が付録されており、それによると、
相補主義では、心理学的言説と社会学的言説の両方のアプローチをとっていくものだそう。
この二つは、
互いに還元し合えず、それぞれで固有に展開している。
しかし、同一の話にかんする両立場にはそれぞれ必然的な相補的関係が存在する。
心理学的言説と社会学的言説を同時に支持することは不可能(還元し合えないから)
とされています。
そして、
サブタイトルにある「両性具有」という語は訳者の加藤さんが付けたもので、
収録されている論文が主に、
男性化の側面がみられる女神・半女神
自ら出産することで女性化している男神
のテーマを扱うことから、加えられたものです。
そのようなテーマを扱いつつも、ドゥヴルー氏は、「ユニセックス」だとか「男女の曖昧な存在」だとかを認める現代の潮流への批判を抱いています。
(訳者あとがきより)
カイネウスは涜神者だった?
さて、本書にてこの神話を考察する上で最重要視されているのが、カイネウスの行った涜神行為です。
あれ、そんなことどこに書いてあったっけな……とすずきはびっくり。
ヒュギーヌスにもアポロドーロスにもオウィディウスにもそのような記載は見られません。
「嘘よ! カイネウス君はそんなことしないもん!」
と心の中のリトルすずきが喚きだす。
カイネウスの槍崇拝
しかしその典拠を紀元前六世紀ごろの神話学者アクーシラオスに求めることができます。
このアクーシラオスですが、同時期の作家同様、著作がボンっと残っているわけではありません。
そのため、彼の記述あるいは彼に関する記述を日本語で読むのに、
『ソクラテス以前哲学者断片集』をあたる必要がありました。
以下に引用するアクーシラオスによるカイネウスに関する記述は、
紀元後3世紀のオクシュリンコス・パピュロスさんの著作で引用されているものです。
(パピュロスがアクーシラオスを引用し、それをすずきが引用するという……)
(前略)そしてこのカイネウスがラピテス族の王となり、ケンタウロスたちとくり返し闘った。やがて彼は一本の槍を広場にたて、これを神々の一柱と見なすよう命じた。ところが、これが神々の不興を買い、またゼウスは彼がこうしたことをするのを見て恐れ、ケンタウロスたちをけしかける。(後略)
内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集 第Ⅰ分冊』、岩波書店、1996
第9章 アクゥシラオス
オクシュリンコス・パピュロス より
オウィディウス『変身物語』ではカイネウスは王ではなく、カイネウスが圧死する事件は、当時の王ペイリトオスたちの結婚式で起こったとされています。
「ラピタイ族の王となったカイネウスが、槍を神としてあがめさせた」という記述は探せる範囲ではここくらいですね。
槍=男根
このカイネウスの槍というのが、察しがつくかもしれませんが、男性器を象徴しているというのです。
ドゥヴルー氏曰く、
ポセイドンに強姦されたカイネウスが男根を獲得するという流れは、
赤子と男根の象徴等価交換が行われているそう。
(心理学において男根と赤子は対応関係にある)
ざっくり言うと
・神に姦されて子供が生まれない例は無いと言って良い。
・ここでも本来、カイニスはポセイドンの子を孕んでいる。
・しかし、カイニスの願いで赤ん坊は男根に姿を変えている。
だから
「カイニスからカイネウスへ生まれ変わったぜ!」
みたいな、両者のはっきりとした分離は起こっていないイメージなのでしょう。
彼の男根崇拝は、強姦されたというカイニス時代の過去ゆえの反動だとドゥヴルー氏は述べます。
カイネウスは、女だった頃を封じるように自身の男根に執着するようになって、槍を崇拝させるまでに至った。
ほうほう……なんとなく納得。
不死身が示すところ
さて、男根を手に入れ、カイネウスは侵入される側から侵入する側になりました。
カイネウスの一番の特徴は「傷つけられない身体」です。
これは、いかなる武器でも肉を貫くことができない=侵入されることへの拒絶を示しています。
またドゥヴルー氏は、がちがちになって何も内へ入れない(たとえそれが死ぬときであっても)カイネウスの身体を
勃起した男根そのものとします。
カイネウスはもはやがちがちの男根そのもののまま、地面に杭のごとく埋め込まれたというのです。
黄金の鳥について
赤子・男根の対応関係はそれだけでは終わりません。
カイネウスの最期、木々の合間から飛び立ったと記述されている黄金の鳥も、その対応関係に身を連ねるというのです。
ポセイドンからカイニスへ渡された赤子は男根に姿を変え、魂として黄金の鳥となり消えるのです。
異伝には、彼が圧死した後、木々をどかして見てみれば、カイネウスは女性に戻っていたとするものもあるそうです。
(MYTHOGRAPHE DU VATICAN Ⅱ,52より。大修館、『ラルース ギリシア・ローマ神話大事典』参照)
→つまり死後、男根が無くなった。
ほうほう……飛んでいったのは、カイネウスの魂=男根だったのか……難し。
まとめると
赤子=男根=(槍)=魂=黄金の鳥。
ドゥヴルー氏はカイネウスについて、男女の曖昧な存在とは考えておらず、一時的に男だった女と考えているといえます。
おわりに
カイネウス君が槍をあがめ、涜神的な態度をとっていただなんて……
少しショックもありますが、それくらい彼は男であることにしがみついていたということですね。
そんな彼が、ドゥヴルーの言うとおり、男そのもののままに死んでいけたのなら、まだ幸せなことだと、私はそう思います。(自分に言い聞かせる)
心理学的なアプローチで神話に迫るのはメジャーな神話学の取り組み方ですが、なかなかにハードで面白いですね。
(かといってそれ一辺倒でやっちゃうとつまらなくもなるので、種々の迫り方に触れていきたいところです)
わかるとおり、心理学にも相補主義にも疎い著者が、超絶ざっくりまとめているので、ドゥヴルー氏の主張を荒削りしてしまっているのは否めません。
ここまで全く触れてきませんでしたが、該当章において、同じく英雄の時代の登場人物アタランテおよびその息子パルテノパイオスとの比較検討も主要な事項として扱われています。
是非本を読んでください。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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