こんにちは、閲覧ありがとうございます。すずきです。
今回はギリシア神話の、不死身の英雄カイネウスについてのお話後半戦です。
前半では、『変身物語』に基づいて、カイネウスの神話のあらすじを紹介し、すずきが感想をもそもそ述べました。まだの方は併せて、こちらからどうぞ。
この話に少し踏み込むために、
ジョルジュ・ドゥヴルーさんが著し、加藤康子さんが訳した
『女性と神話 ギリシア神話にみる両性具有』におけるカイネウスの記述を見ていきます。
※今回の記事は終始、ジョルジュ・ドゥヴルー著 加藤康子訳『女性と神話 ギリシア神話にみる両性具有』、新評論、1994
の
第三部 半女神たち 第Ⅷ章 カイニス-カイネウス
に基づき、文中の表現を、(筆者が解したなりに)自分の言葉で要約したり簡略化したりして書かれています。
その他の部分に関しては都度引用元を明記。
『女性と神話 ギリシア神話にみる両性具有』について
前提として、この著書について一言で述べると
この本は、民族精神医学で著名なドゥヴルー氏が相補主義というやり方で、ギリシア神話の各話を分析・考察していく論文集です。
この相補主義っていうのが、私は全く馴染みがなく理解が難しい。
ありがたいことにアラン・ロシュ氏による「日本語版のための解説」が付録されており、それによると、
相補主義では、心理学的言説と社会学的言説の両方のアプローチをとっていくものだそう。
この二つは、
互いに還元し合えず、それぞれで固有に展開している。
しかし、同一の話にかんする両立場にはそれぞれ必然的な相補的関係が存在する。
心理学的言説と社会学的言説を同時に支持することは不可能(還元し合えないから)
とされています。
そして、
サブタイトルにある「両性具有」という語は訳者の加藤さんが付けたもので、
収録されている論文が主に、
男性化の側面がみられる女神・半女神
自ら出産することで女性化している男神
のテーマを扱うことから、加えられたものです。
そのようなテーマを扱いつつも、ドゥヴルー氏は、「ユニセックス」だとか「男女の曖昧な存在」だとかを認める現代の潮流への批判を抱いています。
(訳者あとがきより)
カイネウスは涜神者だった?
さて、本書にてこの神話を考察する上で最重要視されているのが、カイネウスの行った涜神行為です。
あれ、そんなことどこに書いてあったっけな……とすずきはびっくり。
ヒュギーヌスにもアポロドーロスにもオウィディウスにもそのような記載は見られません。
「嘘よ! カイネウス君はそんなことしないもん!」
と心の中のリトルすずきが喚きだす。
カイネウスの槍崇拝
しかしその典拠を紀元前六世紀ごろの神話学者アクーシラオスに求めることができます。
このアクーシラオスですが、同時期の作家同様、著作がボンっと残っているわけではありません。
そのため、彼の記述あるいは彼に関する記述を日本語で読むのに、
『ソクラテス以前哲学者断片集』をあたる必要がありました。
以下に引用するアクーシラオスによるカイネウスに関する記述は、
紀元後3世紀のオクシュリンコス・パピュロスさんの著作で引用されているものです。
(パピュロスがアクーシラオスを引用し、それをすずきが引用するという……)
(前略)そしてこのカイネウスがラピテス族の王となり、ケンタウロスたちとくり返し闘った。やがて彼は一本の槍を広場にたて、これを神々の一柱と見なすよう命じた。ところが、これが神々の不興を買い、またゼウスは彼がこうしたことをするのを見て恐れ、ケンタウロスたちをけしかける。(後略)
内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集 第Ⅰ分冊』、岩波書店、1996
第9章 アクゥシラオス
オクシュリンコス・パピュロス より
オウィディウス『変身物語』ではカイネウスは王ではなく、カイネウスが圧死する事件は、当時の王ペイリトオスたちの結婚式で起こったとされています。
「ラピタイ族の王となったカイネウスが、槍を神としてあがめさせた」という記述は探せる範囲ではここくらいですね。
槍=男根
このカイネウスの槍というのが、察しがつくかもしれませんが、男性器を象徴しているというのです。
ドゥヴルー氏曰く、
ポセイドンに強姦されたカイネウスが男根を獲得するという流れは、
赤子と男根の象徴等価交換が行われているそう。
(心理学において男根と赤子は対応関係にある)
ざっくり言うと
・神に姦されて子供が生まれない例は無いと言って良い。
・ここでも本来、カイニスはポセイドンの子を孕んでいる。
・しかし、カイニスの願いで赤ん坊は男根に姿を変えている。
だから
「カイニスからカイネウスへ生まれ変わったぜ!」
みたいな、両者のはっきりとした分離は起こっていないイメージなのでしょう。
彼の男根崇拝は、強姦されたというカイニス時代の過去ゆえの反動だとドゥヴルー氏は述べます。
カイネウスは、女だった頃を封じるように自身の男根に執着するようになって、槍を崇拝させるまでに至った。
ほうほう……なんとなく納得。
不死身が示すところ
さて、男根を手に入れ、カイネウスは侵入される側から侵入する側になりました。
カイネウスの一番の特徴は「傷つけられない身体」です。
これは、いかなる武器でも肉を貫くことができない=侵入されることへの拒絶を示しています。
またドゥヴルー氏は、がちがちになって何も内へ入れない(たとえそれが死ぬときであっても)カイネウスの身体を
勃起した男根そのものとします。
カイネウスはもはやがちがちの男根そのもののまま、地面に杭のごとく埋め込まれたというのです。
黄金の鳥について
赤子・男根の対応関係はそれだけでは終わりません。
カイネウスの最期、木々の合間から飛び立ったと記述されている黄金の鳥も、その対応関係に身を連ねるというのです。
ポセイドンからカイニスへ渡された赤子は男根に姿を変え、魂として黄金の鳥となり消えるのです。
異伝には、彼が圧死した後、木々をどかして見てみれば、カイネウスは女性に戻っていたとするものもあるそうです。
(MYTHOGRAPHE DU VATICAN Ⅱ,52より。大修館、『ラルース ギリシア・ローマ神話大事典』参照)
→つまり死後、男根が無くなった。
ほうほう……飛んでいったのは、カイネウスの魂=男根だったのか……難し。
まとめると
赤子=男根=(槍)=魂=黄金の鳥。
ドゥヴルー氏はカイネウスについて、男女の曖昧な存在とは考えておらず、一時的に男だった女と考えているといえます。
おわりに
カイネウス君が槍をあがめ、涜神的な態度をとっていただなんて……
少しショックもありますが、それくらい彼は男であることにしがみついていたということですね。
そんな彼が、ドゥヴルーの言うとおり、男そのもののままに死んでいけたのなら、まだ幸せなことだと、私はそう思います。(自分に言い聞かせる)
……別に嫌いにならないよ。私の推し英雄はカイネウス君のままです!
心理学的なアプローチで神話に迫るのはメジャーな神話学の取り組み方ですが、なかなかにハードで面白いですね。
(かといってそれ一辺倒でやっちゃうとつまらなくもなるので、種々の迫り方に触れていきたいところです)
わかるとおり、心理学にも相補主義にも疎いすずきが、超絶ざっくりまとめているので、ドゥヴルー氏の主張を荒削りしてしまっているのは否めません。
ここまで全く触れてきませんでしたが、該当章において、同じく英雄の時代の登場人物アタランテおよびその息子パルテノパイオスとの比較検討も主要な事項として扱われています。
是非本を読んでください。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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