今日も雑記。本を眺めていてぱっと思ったことを書き連ねるだけ。
でももしかしたら雑記から、膨らませて、ちゃんとある程度調べて一つか二つの記事ができるかもしれない。
マンボウもコイもカエルもめちゃくちゃ産卵するらしい。無事に成長できるのは一握りだから、とにかく数打ちゃ当たる戦法だ。
雑記は記事の卵。産めば産むほど大人になる個体の数も増えるはず。
だから今日も雑記を書きますよ。
イカロスの神話、美しくて好き。
イカロスの話のおおまかな流れ
ギリシア神話で有名なエピソードと言えば「イカロスの墜落」。
いろいろ前後関係はあるのだけど、ざっくり言うと、
・大人気の天才発明家・技術者のダイダロスはひょんなことからアテナイを追放される。
・クレタ島のミノス王のもとで活動するダイダロス。
ミノタウロスという怪物を閉じ込める迷宮「ラビリントス」を制作する。
・とある日、ミノス王の娘アリアドネに、迷宮の脱出法法を教えてしまい、ダイダロスは王の怒りを買う。
(アリアドネの助力を得て英雄テセウスがミノタウロスを退治し迷宮から脱出してしまったので)
・王により、ダイダロスは息子のイカロスと一緒にラビリントスへ閉じ込められる。
・脱出するために作ったのは「翼」。
・それぞれ翼を背負い、複雑な迷宮を上方向へ脱出!
・ダイダロスの忠告にもかかわらず、イカロスは飛んでいる最中、太陽に近づきすぎてしまう。
・翼を接着していた蜜蝋が太陽の熱で溶け、翼は崩壊する。
・イ カ ロ ス 墜 落。
うーん。あまりにも美しいな。
もちろんこれはかねてより、加速度的に発展する科学技術と、その根底にある人類の傲慢さを批判する戒めと捉えられています。
一方で、翼を手に、今まで見上げるだけだった太陽に接近したというイカロスの勇気を讃える見方もあるそうです。
真反対とも言える立場がイカロスの神話から生まれてくる。そういう猶与をくれる神話でございます。
だからこそ数多くの芸術家がこの神話をモチーフにした絵画や小説、歌を作り上げるのでしょう。
非常に魅力的な神話の一つです。
イカロスはなぜ墜落したのかの妄想
これを一つの作品だとして、イカロスの気持ちを汲み取りたくなります。
イカロスはなぜ太陽に近づいたのか?
上手く飛べなかったから?
純粋に飛べたことが嬉しくて上昇し続けてしまった?
それとも、太陽に何らかの強い感情を抱いていたとか?
一応アポロドーロスではこのような記述があります。
しかしイーカロスは父の命を無にして、夢中になってしだいしだいに高く飛んだ。
アポロドーロス著 高津春繫訳『ギリシア神話』、岩波文庫、1953 摘要Ⅰ 12より
オウィディウスでは、こんな感じの記述です。
(前略)少年が大胆な飛行に喜びを覚え始め、先導する父から離れて、天空に至る空域への憧れから、高く高く進路を翔り上がっていった。
オウィディウス著 大西英文訳『変身物語 上』、講談社学術文庫、2023 第八巻 223~より
前者では飛翔が楽しくて調子乗っちゃった感じでしょうか。後者は飛行も楽しいけど、「空域への憧れ」とも描写されています。(太陽とは言ってないけど)
どちらかというとやはりオウィディウスの詩的な描写にグッときますね。
私は、
イカロスが太陽に焦がれ、その強い欲求ゆえに近づき過ぎて墜ちた
のならめちゃくちゃ美しくて滾るなと勝手に思っています。
そのようなイカロス像こそが、人間と神との美しい関係だと思えるからです。
神話とか宗教とかを研究・勉強し、神や神々について追い求める人というのは、(信仰の中にいる人であれ、否であれ)誰もイカロスになる可能性を孕んでいる気がします。
神が何か明らかにしようとするのは、敬うべき存在を対象化していて失礼なのかなという気持ちと、
でも好きだから知りたいんだという気持ちの葛藤です。
愛慕と憧憬が傲慢と紙一重であることを心に留めた上でいろいろ研究したいなと強く感じます。
(私がここで言いたい傲慢さはテクノロジーや科学発展への批判としてではなく__つまり、技術で神々に取って代わろうという傲慢さではなく、人間ごときが神々に近づけると思っていることのイメージです)
それでも、別にやりすぎてイカロスの如く墜落したとしても、それはそれで美しくないですか。
人間知の限界、太陽(神的なもの)との絶対的な隔たりを身を以て示せるんですから。
この忙しない現代社会で神々を研究することは、地上から離れて飛翔することとちょぴっと似ています。
上手く飛べても、やり過ぎて墜落しても、どっちに転んでも美しいのだから、研究しない手はないですね。
というのが、すずきの研究観。
「中二病大学生がなんか言ってるよ」程度の雑記でした。
読んでくれてありがとうございます。
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