【『神統記』】どっちもリンゴと蛇が出てくるけど偶然なの?【創世記】

ギリシア神話

閲覧ありがとうございます。
こんにちは、すずきです。

今日はヘシオドスの『神統記』を読んでいて引っかかった蛇とリンゴについて考えたいと思います。

ギリシア神話と創世記のリンゴと蛇

『神統記』の黄金の林檎を見張る蛇

 さてヘシオドスの『神統記』では神々や英雄、怪物たちの系譜が語られますが、その333行めからの記述にこのようなものがあります。

さてケトは ポルキュスと情愛の共寝して 末子
恐るべきを生んだ この者は大いなる涯
暗い大地の奥処で 黄金の林檎を見張っている。

ヘシオドス著 廣川洋一訳『神統記』、岩波文庫、1984

 ケトとポルキュスは、どちらも大地(ガイア)と海(ポントス)の子供です。
末っ子の蛇の他にグライアという姉妹、ゴルゴン三姉妹といった異形の子供たちを生んでいます。
またこのゴルゴン三姉妹の一人、メデューサから、ギリシア神話でおなじみの怪物たちが生まれてきます。
つまりこの辺りは神々というよりは怪物の家系です。

さて、蛇とリンゴですよ。
読んでいて、かの有名な聖書の失楽園の物語を想起しない人はいないでしょう。

『聖書』「創世記」のそそのかす蛇

 エデンの園に住んでいたアダムとイヴは神から、食べてはいけないと言われていた善悪の木の実を蛇にそそのかされて口にしてしまい、楽園を追われることになります。

創世記における蛇がイヴをそそのかすシーンはこんな感じ。

さてしゅなるかみつくられたもののうちで、へびがもっと狡猾こうかつであった。へびはおんなった、「そのにあるどのからもってべるなと、ほんとうにかみわれたのですか」。

おんなはへびにった、「わたしたちはそのべることはゆるされていますが、

ただその中央ちゅうおうにあるについては、これをってべるな、これにれるな、んではいけないからと、かみわれました」。

へびはおんなった、「あなたがたはけっしてぬことはないでしょう。

それをべると、あなたがたのひらけ、かみのように善悪ぜんあくものとなることを、かみっておられるのです」。

おんながそのると、それはべるにく、にはうつくしく、かしこくなるにはこのましいとおもわれたから、そのってべ、またともにいたおっとにもあたえたので、かれべた

旧約聖書 創世記 第3章 (来日聖徒イエス・キリスト教会のHP掲載より引用)

 そもそもリンゴなんて書いていませんが、この善悪の木の実ってやつは、なんだかリンゴのイメージが強い。
宗教画もリンゴで描かれていることが多く、現代の認識だと、禁断の果実と言えばリンゴですよね。

共通点と相違点

 共通点としてはどちらも、蛇には恐ろしいイメージがありそうです。

 ギリシア神話では、蛇は怪物の家系の一員で、暗い大地の果てに住んでいます。アポロドーロスによれば、この蛇はあらゆる言葉を喋るというのです。
 また創世記では、最も狡猾で、神に背いて善悪の実を食べるよう勧める蛇です。

しかしながら、
・ギリシア神話の蛇は、リンゴを見張っている。
・聖書の蛇は、リンゴを食べるよう促す。
との明確な違いがあります。

このリンゴ自体も
・黄金の林檎(有名なエピソードは、争いの女神エリスがこれを「最も美しい女神へ」の贈り物として   投げた話)
・智恵の実(食べると善悪の知恵を得ることができる)
と役割や効能とも言うべきものが違います。

また蛇が住んでいる場所も
・地の奥底、果て
・楽園
でまるで異なり、

・もともと怪物の家系に生まれたギリシア神話の蛇。
・もともと狡猾とはいえ、イヴをそそのかした一件で、悪い奴になった創世記の蛇
両者はこの点でも異なります。

むしろ、同じなのは「蛇」と「林檎」だけ?

うん。同じなのは蛇とリンゴという要素のみかもしれませんね。

そしてこれは蛇という動物の持つ、他の動物とは一線を画す神聖さおよび不気味さと、
林檎と和訳されている単語の持つ範囲の広さに原因があると言えます。

「林檎」という単語

リンゴについて、まず見ていきます。

先述の通り、聖書における記述では、善悪の実としか言われておらず、
でもみんななんとなく「リンゴ」だよねとなっています。

ただ画家によってはこれをイチジクと捉えたりザクロとしたりと揺らぎがあるそう。

『神統記』ではどうでしょう?

岩波文庫から出ている廣川先生訳では、先に引用したように「黄金の林檎」となっていますが、原文を見ると、

林檎と訳されている単語は、

μῆλον(読み方:メーロン)

です。

(メロン!? 偶然か……)

この単語、希英辞典では、その意味を
「an apple」
あるいは
「(generally)tree-fruit」
と記載されています。
(また複数形で時折、少女の息の隠喩でも使われる。なんだかイヴみを感じる)

この「一般に木に生る果実」を指すという範囲の広義の意味と、あの赤い皮で黄色い果肉のアレとい狭義の意味が、一つの語にあるんですよね。

もはや林檎という語が、果物一般を指す止めどなく広い言葉だということ。

私は読んでいて、
黄金の林檎か……布でめちゃくちゃ磨いた王林みたいな感じかな?
とか想像したわけですが、
「とある神聖な果物」
くらいの抽象的なイメージが良さそうです。もはや黄金という形容詞も比喩的な感じだろうし。

そうして智恵の実も、=リンゴってわけではないですから、そこは留意しておきたいところです。

蛇という生物

つぎは蛇について。

蛇というと、ギリシア神話や聖書以外の神話にも必ずと言っていいほど登場する生き物ですね。
神話に登場する他のキャラクターたちは、その土地の自然環境や文化に依拠しますが、人間と蛇はどの話にも出てきます。

それくらい蛇という生き物に対し、強い印象を人類は共通して抱いているということでしょう。
足が無くてくねくねする、あの感じは確かに唯一無二。

遅すぎるが、ここで超重要情報!

ギリシア神話に登場する黄金の林檎の見張り番は、『神統記』以外の神話集の訳だと、「竜」、「百頭竜」とされています(アポロドーロス著 高津春繫訳)。

つまり蛇と訳されている語は、「竜」とイコールなのです。ここで聖書とのズレが。

蛇・竜が象徴するのは、水、流動性、不安定さであり、この世とあの世を繋ぐ曖昧な存在というイメージが共通してある
という話をどこかで読んだ気がします。(要出典)

蛇に関してはネタが尽きないので、また蛇単体で深く調べて記事としてアウトプットしたいと思います。

私のおばあちゃんは蛇が大嫌いだったそうだけど、私は蛇大好き。かわいいし美しいから。
首に巻けば幸運を呼び寄せそうな白くて太い蛇じゃなくて、細くてながーい暗い色の蛇が好きです。

まとめ:林檎の指す範囲が広すぎる

 さて蛇とリンゴという語に着目してみましたが、この連想の原因は、リンゴという語の広義さにありました。

また蛇が、その特徴的な見た目に置いて、他の動物より頭一つ抜きん出ていることも、神話に蛇が頻出する原因ですね。
(蛇の頭如何)

この記事を書いていて、日本語訳だけで読み進める危険性を実感し、語学へ身が入りそうです。

今月から大学四年生になりますが、ギリシア語だけでなくラテン語もそろそろ身に付けないといけないので、今年度から頑張ります。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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