『イーリアス』第二巻の後半の大部分は、戦争に参加した船隊、人々を紹介するカタログとなっています。
ただひたすらに地名と人名が連なり、カタカナだらけの箇所でして、まぁ別にきっちり読まなくても物語は理解できるでしょう……
しかし、ギリシア軍の規模の大きさを実感するためにも、ここでは少しだけじっくり見てみようと思います。
船軍の目録……よそから借りてきたくだり?
『トロイア遠征』から取り入れたもの
第二巻の前半ではアガメムノーンが夢を見て、ギリシア軍が総攻撃を仕掛けに出陣します。
物語はそこで一次中断し、突然のナレーションのようなギリシア軍紹介パートが入ってきます。
訳者の注にもありましたが、本来このカタログのくだりは、『トロイア遠征』という別の歌謡の始めの方であったものを、取り入れたものと思われます。
もともとギリシア神話は様々なところで語り継がれてきたものですから、『イーリアス』としてまとめられる前にも、トロイア戦争のことを語った詩がいくつかあったのでしょう。
そこから拝借し、今、ギリシア軍が勢ぞろいし、一斉にトロイアへ攻撃を仕掛けるぞという、この出陣のタイミングで挿入したのでしょう。
これは船軍のカタログであり、ここでの表現は大体が「△△からは○○が*隻の船を率いてきた」みたいな感じで、いかにも船に乗ってるイメージがあります。
しかし、物語の場面的には戦士たちが平野を突き進んでいくシーンでの挿入でしたので、そこで少しズレがあるような気もします。
トロイアへの遠征 出発地は「アウリス」
ギリシア全土から集まった戦士たちは、それぞれの国や地域から一度、アウリスというところの浜辺に集いました。
そこで第二巻前半であったような背の赤い大蛇のエピソードとかがあったわけですが、ギリシア軍はそこでまとまって、小アジアにあるトロイアへ遠征に行きます。
アウリスはボイオーティアという地方にあります。
ボイオーティア地方はギリシア本土から南西に突き出した細長い形をした地方で、その東側の海岸にアウリスの港があります。
出発地であるアウリスを含むボイオーティア地方の戦士たちから紹介が始まります。
船軍の目録
【注意】船軍たちを紹介する際に、地図で場所を示していますが、以下掲載する地図は
・フリー地図サイトd-maps.comさまの「古代ギリシア」地図を
・リチャード・J・A・タルバート編、野中夏実/小田謙爾訳『ギリシア・ローマ歴史地図』、原書房、1996より「ホメロスの詩におけるギリシア本土」と、
・ロバ―ト・モアコット/桜井万里子監修、青木桃子訳『地図で読む世界の歴史 古代ギリシア』、河出書房新社、1998より「トロイア戦争 2.ホメロスの世界」を大いに参照しながら、
・筆者がパワーポイントで地域の範囲を示し、便宜上数字を振り分けるよう加工したものです。
d-maps.comさまの地図は「古代ギリシア」としかなく、古代ギリシアと言っても幅広いですから、残念ながら、おそらくホメーロスの時代の地形とは若干異なっているようです。
借りられるものがそれしかなかったので、ありがたく使わせていただいています。
おおまかな場所の理解のお手伝い程度にご参照ください。
ボイオーティア周辺
①ボイオーティアの人々
指揮官:ペーネレオース、レーイトス、アルケシラーオス
主な地名:アウリス、エウトレシス、コロネイア など
戦力:船、50隻
②アスプレドンあたりの人々
指揮官:アスカラポス、イアルメノス(両者とも軍神アレスの息子)
主な地名:アスプレドン、オルコメノス
戦力:30隻
③フォキス人たち
指揮官:スケディオス、エピストロポス
主な地名:ピュートー、クリサ
戦力:40隻
④ロクリス人たち
指揮官:小アイアース(小柄だが足が速い)
主な地名:キュノス、オボエイス、トロニオン
戦力:40隻
⑤アバンテス人たち
指揮官:エレペーノール
主な地名:カルキス、ヒスティアイア
戦力:40隻
(補足:アバンテス人たちは後ろだけ髪を伸ばしている。すばしっこくて槍が得意)
⑥アテナイの人々
指揮官:メネステウス(馬に引かせる戦車や盾の扱いが得意。唯一のライバルはネストール)
主な地名:アテナイ
戦力:50隻
⑦サラミス島の人々
指揮官:大アイアース(アキレウスの次に武勇が優れている)
主な地名:サラミス島
戦力:12隻
ペルポネソス半島
⑧アルゴスやその周辺の人々
指揮官:ディオメーデース(次いで、ステネロス、エウリュアロスがいる)
主な地名:アルゴス、ティリュンス、トロイゼン、アイギナ島
戦力:80隻
⑨ミュケーナイあたりの人々
指揮官:アガメムノーン
主な地名:ミュケーナイ、コリントス、シキュオン。ヒュペレイア
戦力:100隻
(補足:アガメムノーンにはアカイア人たちのうちで最も優れた戦士たちが従ってきた)
⑩ラケダイモーン人たち、およびその周辺
指揮官:メネラーオス(アガメムノーンの弟、ヘレネの夫)
主な地名:スパルタ、ヘロス、ラアス
戦力:60隻
⑪ピュロスやアレネの人々
指揮官:ネストール(非常に長寿、また弁舌も巧み)
主な地名:ピュロス、アレネ、ドリオン
戦力:90隻
⑫アルカディア人たち
指揮官:アガペーノール
主な地名:フェネオス、テゲア
戦力:60隻
(補足:内陸の人々のため海での仕事には慣れていないが、アガメムノーンがわざわざ立派な船を設えてあげた)
⑬エペイオイ人たち
指揮官:アンピマコス、タルピオス、ディオーレース、ポリュクセイノス
主な地名:ブープラシオン、エリス州
戦力:40隻(指揮官一人ごとに10隻)
東部の島々
⑭ドゥリキオン及びエキナデス列島の人々
指揮官:メゲース(軍神アレスにも匹敵するらしい)
主な地名:ドゥリキオン(地図上赤色部左上の島)とエキナデス列島(地図上囲まれている箇所、ホメーロスの時代にはもっとこまごました島々が連なっていたと思われます)
戦力:40隻
⑮ケパレーネスの人々
指揮官:オデュッセウス(知謀においてゼウスにも匹敵する)
主な地名:イタカ(オデュッセウスの故郷)、ザキュントス島、サモス島
戦力:12隻
⑯アイトリア人たち
指揮官:トアース
主な地名:プレウロン、カリュドーン
戦力:40隻
南西の島々
⑰クレタ島の人々
指揮官:イードメネウス(彼の異母弟であるメーリオネースも続く)
主な地名:クノッソス、ミレトス
戦力:80隻
⑱ロドス島の人々
指揮官:トレーポレモス(ヘラクレスの息子。父方の伯父を殺した罪でロドス島へ亡命してきた過去がある)
主な地名:ロドス島(リンドス、イアリュソス、カメイロスの三つに部族が分かれている)
戦力:9隻
⑲シュメー島の人々
指揮官:ニーレウス(アキレウスに次ぐ美男子だが力はあまり強くない)
主な地名:シュメー島
戦力:3隻
⑳ニシュロス島の周辺の島々の人々
指揮官:ペイオディッポス、アンティポス
主な地名:ニシュロス島、コース島、カリュドナイの島々
戦力:30隻
ギリシア本土北部
㉑ミュミドネス、ヘレーネス、アカイオイと呼ばれる者たち
指揮官:アキレウス
主な地名:ペラスギゴンのアルゴス(既出のアルゴスとはまた違う地)、トレキス、プティーア(アキレウスの故郷)
戦力:50隻
(補足:アキレウスは戦線離脱中。しかし、まもなく立ち上がるべき運命にあった……)
㉒ピュラソスやアントロン周辺の人々
指揮官:プローテシラーオス(トロイア戦争でのギリシア軍最初の犠牲者。今は弟のポダルケースが指揮している)
主な地名:ピュラソス、プテレオン、アントロン
戦力:40隻
㉓ボイベーイス沼周辺の人々
指揮官:エウメーロス
主な地名:ペライ、イオルコス(イオルコスはギリシア神話の別の英雄譚のアルゴノーツ出発の地ですね!)
戦力:11隻
㉔メリボイアやオリゾンにわたる人々
指揮官:ピロクテーテース(弓の名手)
主な地名:メトネ、メリボイア、オリゾン
戦力:7隻
(補足:彼らは皆、指揮官と同じで弓矢が得意)
㉕トリッケなど本土北部中央あたりの人々
指揮官:ポダレイリオス、マカオーン(医神アスクレピオスの息子でどちらも優れた医師)
主な地名:トリッケー、オイカリエー
戦力:30隻
㉖ギリシア本土東寄りの中央部? の人々
指揮官:エウリュピュロス
主な地名:オルメニオス、ヒュペレイアの泉、アステリオン
戦力:40隻
㉗ギュルトネなど本土北東部の人々
指揮官:ポリュポイテース、レオンテース
主な地名:アルギッサ、ギュルトネ、オルオッソン
戦力:40隻
(補足:指揮官たちは、ケンタウロスたちと抗争状態にあったラピテース族の末裔です。ラピテース族にも数多くの英雄がいます)
㉘エニエーネス人やペライボイ人たち
指揮官:グーネウス
主な地名:キュポス、ドドナ
戦力:22隻
㉙マグネーテス人
指揮官:プロトオス
主な地名:ペーネイオス河の河口付近、ペリオン山一帯(ペリオン山が思ったより下に位置していたため上手く地図では示せていません。不正確です)
戦力:40隻
一番優れている戦士および馬
ざっとした紹介が終わったあと、この数多くのギリシア戦士たちの中でも最も優れているものは誰かに言及しています。
馬:㉓ボイベーイス沼周辺の指揮官エウメーロスが連れてきた二頭の馬。この二頭の牝馬は双子のように完全にそっくりで、鳥が飛んでいくような足の速さだった。アポローンが育てた。
戦士:大アイアースが一番優れていた。
しかし馬と戦士どちらについても、アキレウスがいない今についてのことで、結局彼を含めると、アキレウスが一番優れた戦士であり、馬もアキレウスの乗る馬が一番だったとあります。
ここで少し戦線を離れたアキレウスたちが何をしているのかに触れられています。
アキレウス……停まっている船の間に座って、アガメムノーンへイライラしている。
戦士たち……円盤や槍を投げたり、矢を射ったりしてアキレウスを慰めていたが、やっぱり彼はたちあがらないので、陣屋のまわりをぶらぶらしていた。
戦車の馬たち……レンゲソウやセリなどが生えているのをついばんでいた。戦車にはカバーがかけられている。
ちょっと暇そうですね。具体的な描写で想像がつきやすいです。
アキレウスはまだイライラしています。彼は国よりも自分の名誉を気にするわがままなところがありますね。
一方、トロイア側は……
ギリシア軍の攻撃を虹の神イリスが伝える
ギリシア軍が勢ぞろいしてトロイアの平野を進んでいくのを見て、虹の女神イリスがゼウスのおつかいでトロイア側へやってきます。
ちょうどトロイア側は総大将ヘクトールを中心に戦争について会議を行っているところでした。
イリスはトロイアの王プリアモスの息子に化け、会議を解散するように訴えます。今にもギリシア軍が攻めてくるので戦いの準備をしないといけません。ヘクトールはすぐに会議を解散させました。
トロイア軍も勢ぞろい
トロイア側は城壁に囲われた市のすぐ近くにある「茨の丘」と呼ばれる丘に勢ぞろいします。
さて、ここでトロイア軍の紹介が入るのですが、ギリシア軍側とは違い結構ざっくりとした紹介になっています。ここでもざっくりいきます。
・トロイア人たち 指揮官はヘクトール
・ダルダノイたち 指揮官はアイネイアース
・イダ山ふもとのゼレイアの町の人々 指揮官はパンダロス
・アドレーステイアなどに住む人々 指揮官はアドレーストス、アンピーオス
・ペルコーテー、アリスベーなどの人々 指揮官はアシオス
・ペラスゴイ人たち 指揮官はヒッポトオス
・トラキア人たち 指揮官はアカマース、ペイロオス
・キコネス族たち 指揮官はエウペーモス
・パイオーネス人たち 指揮官はピュライクメース
・パプラゴニアに住む人々 指揮官はピュライメネース
・ハリゾーネス族たち 指揮官はオディオス、エピストロポス
・ミューシア人たち 指揮官はクロミス、エンノモス(彼はもうアキレウスによって殺されている)
・フリュギア族たち 指揮官はポルキュス、アスカニオス
・マイオーネス人たち 指揮官はメストレースとアンティポス
・カーリア人たち 指揮官はナステース、アンピマコス(こちらもすでにアキレウスに殺されている)
・リュキア軍たち 指揮官はサルペードーン、グラウコス
トロイアは小アジアの西の方に位置しています。同盟軍や援軍は小アジアの広い大陸の方々から駆けつけてくれたという感じの認識で十分だと思います。
トロイア側の指揮官はアポローン神やアプロディーテ女神とかかわりのある者がいます。
ギリシア軍をアテナやヘーラーがひいきにしている一方、アポローンやアプロディーテはトロイア側を応援しています。
そもそもトロイアの王子にギリシア側の妃であったヘレネを送るのを約束したのはアプロディーテですし、アポローンは第一巻冒頭で自分に仕える神官がギリシア側に侮辱されて疫病をもたらしていましたね。
またアプロディーテと不倫関係にあった軍神アレスもトロイア側をひいきにしています。
まとめ:両軍、勢ぞろい
第二巻の後半部は、両軍の兵士たちの紹介となっていました。少しじっくり見たわけですが、たくさんの英雄の名前がでてくるのを見ると、聞いたことある人もチラホラいて楽しかったです。
アルゴー船の冒険という別の冒険譚がギリシャ神話にはあるのですが、それの登場人物の子孫も出てきていますね。
トロイア戦争はそうした英雄たちの活躍の時代を終わらせた戦争ですので、神話の中では一番我々に近い時代設定です。そのため、今までの神話でお馴染みの人たちとその子孫が登場してくる、まさにグランドフィナーレって感じです。
・ギリシア本土や島々から多くの戦士がトロイア遠征に参加している。
・トロイア側にも大陸の方々から援軍が来ている。
第三巻からいよいよ戦いが始まります。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
コメント