『イーリアス』第二巻をひとつひとつ読む:前編

『イーリアス』

 引き続き『イーリアス』を読んでいきます。

 第一巻のあらすじ
 ギリシア兵たちの王アガメムノーンに侮辱されたアキレウス。アキレウスの母テティスはゼウスに、アガメムノーンを懲らしめるため、戦況がトロイア側に有利になるようにお願いをした。

アガメムノーンに凶夢を見せる

ゼウス、不眠

 人々も神々も楽しい宴を終え、皆眠りについている中、神々の王たるゼウスだけ上手く寝付けませんでした。

 テティスにお願いされた、アカイア勢を追い詰めてアキレウスの名誉を回復する仕事のことで頭を悩ませていたのです。どのようにやるのが一番良いか考えて、ある案を思いつきます。

 それはアガメムノーンに凶夢を見させることでした。この夢はギリシア側が不利になるように仕向ける夢でした。

 ゼウスは早速「凶夢」を呼び、こう指示します。

ゼウスの指示
・アガメムノーンの夢へ行き、今こそトロイアを攻め落とすことができるからと、アカイア勢を大急ぎで武装させるように言いつけろ。
・(ギリシア側についている)ヘーラーが他の神々に頼み込んだから、こうなったと説明しろ。

 凶夢はすぐにアガメムノーンの眠る陣屋に赴き、枕元に立ちます。
 アガメムノーンが非常に強い信頼を寄せる弁舌の上手いネストールに姿を変えて夢に現れます。
 そしてゼウスから使わされたと断ったのち、上記と同じことをそのまま伝えると、凶夢は去っていきました。

 この凶夢というのは、ここでははっきりと人格神としては扱われていないのですが、擬人化表現はされています。
 原典ではオネイロス、「夢」という単語になっていますが、調べたところ、眠りを神格化した神ヒュプノスの子供たちがオネイロス(複数形:オネイロイ)だそうです。

 ギリシア神話にはこのようにはっきりと人間と同じように描かれている神(たとえばゼウスやアテナ)と、何か物や現象の擬人化としての存在に留まるような神(たとえばヒュプノスやオネイロス)がいますね。

アガメムノーン、身支度

 さて、アガメムノーンはそれがゼウスによる企みだとは知る由もなく、今日こそトロイアを陥落させ、敵方の王プリアモスを攻め落とせるのだと期待しました。

 アガメムノーンは起きてから意気揚々と着替えはじめ、最後には先祖から伝わった王の印である笏杖を手に取り、仲間たちの船陣へと出かけていきました。
 この時のアガメムノーンは、美しく新しいつやつやの柔らかい肌着、大きな外衣、ゆたかに肥えた足元には美しいサンダル、肩には銀の鋲を打った剣を身に付けたと描写されています。
 なんだか意気揚々感が伝わりますね。

会議が開かれる

兵士たちの心意気を試す

 アガメムノーンはまず、兵士たちの中でも年長や知恵のある元老たちを集めて会議を開きます。
 会議はネストールの船の横で行われました。

 アガメムノーンは夢でネストールが述べたことをそのまま皆に伝えます。
 (ネストールもその場にいます。個人的にはその場にいる人間よりも別の神の姿の方が神託感があってよいような気もしますが……)

 このようなお告げがあったからには早速武装しないといけません。
 そこでアガメムノーンは、アカイア勢を武装させるために、言葉で試してみる事を提案しました。

 アカイアの兵士たちに、「もう戦争は止めてトロイアからアカイアへ帰ろう」と言ってみるのです。
 アガメムノーンがこういうのを、他の元老たちは引き留める、ちょっとした小芝居を打つことになったのです。

 ネストールもアガメムノーンの言うことに従いました。そうして一般兵士を含めた大きな会議を開くため、元老たちは各々が統べている兵士たちを起こし、外に出るよう呼び寄せます。


 兵士たちはまるでミツバチたちが岩や葡萄の房の周りそこかしこをブンブン飛び回っているようにたくさんわらわらと出てきました。
(個人的にこのたとえが、様子を俯瞰している感があって好きです)

しかし、兵士たちの反応は意外にも……

 一般兵士たちも含めた大きな会議が開かれます。

 ざわざわしている兵士たちをアガメムノーンは王笏でもって静めます。

 この王笏は
鍛冶の神ヘーパイストス→ゼウス→伝令の神ヘルメス→ペロプス王(アガメムノーンの祖父)→アトレウス(アガメムノーンの父)→テュエステース(アガメムノーンの叔父)→アガメムノーン
の順で受け継がれてきた、元はといえば神々にまで遡る偉大な笏杖でした。

 長引いたトロイア戦争がついにギリシア軍の勝利をもって終結すると確信しているアガメムノーンは、先ほどの兵士たちを試す計画を実行します。

アガメムノーン
・私は大変迷っている。ゼウスが私に不名誉のままアカイアへ帰るよう偽のお告げをなさった。
・しかし、ギリシア軍の方が圧倒的にトロイア側より数が多いのにも関わらず、戦争のらちが明かないのは確かに恥だ。
・戦争をはじめてから9年経った。ボロが出始めた船、家に残してきた妻子、戦果も無し……
もうみんなで船に乗って故郷に帰ろうじゃないか!

  アガメムノーン的には、このような誘いに、まず元老たちが「何言ってるんだアガメムノーン!」と反対し、それに続いて一般兵士たちも「いやいや、俺たち戦うぜ!」「ウオーーー!」となってくれるのを期待していたのでしょう。

 しかし、実際には……一般兵士たちは元老たちが止める間もなく、恐ろしい勢いで船に駆けていって帰り支度を始めたのです。急いで帰ろうと天に届く雄たけびを上げながら。

 陸に打ち上げていた船を海へ降ろそうと地面を掘り、船の下に敷いていた止め木もすっかり取ってしまいました。

オデュッセウスが立ち上がる

 みっともなく逃げる準備をするアカイア勢を見て、ギリシア側をひいきにしているヘーラーはアテナに、兵士たちを引き留めるように指示します。

 アテナは早速地上へ降りると、オデュッセウスに皆を引き留めるよう伝えます。
 ゼウスにも匹敵するほどの知恵を持ったオデュッセウスは、他の兵士とは違い、船に駆けよらずにその場にとどまっていたのです。

 アテナの言葉を聞いて、オデュッセウスはアガメムノーンの前に走ります。そして彼からあの王笏を借りると、一人一人引き留めるため、船のある方へ駆け出していきます。

 彼は一人一人に合った言葉をかけて呼び留めるのですが、


一国の領主に対しては「臆病者みたいに怖がっているなんて君には似つかわしくない。君自身が腰を据えて他の者を落ち着かせなさい。アガメムノーンは試しているだけだ」と語るのに対し、

一般兵士には「なんて奴だ、おとなしく座って自分よりも優れた人の話を聞け。お前ときたら戦は下手で勇気もないし、戦いでも会議でも物の数にも入れられないじゃないか」と辛辣です。
 しかもあの由緒正しい笏で兵士をどやします。

 このようなオデュッセウスの活躍で、なんとかみんな落ち着きを取り戻し会議の場に戻ってきました

どうしようもない男テルシテース

 しかし、依然としてわめき続けている男がいます。テルシテースという男です。

 このテルシテースという男は
・役にも立たない。節度も礼もない文句をため込み、礼儀も秩序もわきまえず王などと言い争う。
・ギリシア軍中、最も醜い男。ガニ股、片足が不自由、肩が曲がっていて胸の前へ入り込んでいる。頭部も歪み、髪の毛もまばらに生えている。
・いちいち文句をつけるのでアキレウスにもオデュッセウスにも嫌われている
と、要素がもりもりの人物です。

 今回もアガメムノーンに刃向かい、「アガメムノーンだけ残してみんなで帰ろうぜ」とほざいています。それを見てアカイア勢は心の中で酷く苛立ちます。

 そこに早速オデュッセウスが来て激しく叱りつけます。

オデュッセウス
・声の高いおしゃべりめ、黙ってすっこんでろ
お前より劣る人間はギリシア軍の中で一人としていない。
・これから先、同じように馬鹿な振る舞いをしたら、とっ捕まえて身ぐるみを剥いでやる。そして町の広場で恥さらしの鞭打ちにされて、泣きわめているのを船の方へ追っ払ってやる(国から追放してやる)。

 ひどい言葉ですが、これだけじゃなく、オデュッセウスはそう言いながらあの王笏でテルシテースの背中や肩を打ちます。テルシテースはあまりの痛さに身をすくめ、涙をいっぱいこぼしました。
 打たれたところは血ぶくれになった青あざがもりもりと膨れ上がってきています。テルシテースは気が挫け、座り込んで、どうしようもない間抜け顔で涙を拭いました。
 そして彼はアカイア勢みんなの笑いものにされました。

 ここまで来ると可哀想になってきます。
 このテルシテースという男、訳者による注では、ホメーロス叙事詩の中に出てくる庶民の典型として大げさに描かれている存在だそうで、異色のキャラです。
 演劇における一役割の愚者フールや道化みたいな立ち位置なのでしょうか。

オデュッセウス、ネストールの説得

 テルシテースも静かになったところで、今度は軍全体に向けてオデュッセウスがスピーチをします。

オデュッセウス
・この土地にいるのも9年になる。だから私も兵士たちが苦情を言っても不当とは思わない。でも、獲物も無しに帰るのはやはり恥だ。
・もう少し辛抱しよう。トロイア遠征出発の日にあった出来事を思い出すのだ。

 ギリシア中各国から軍隊が集って、トロイアに行くぞというその日、遠征が上手くいくように祭壇で贄を捧げた時のエピソードをオデュッセウスは回想し語ります。

 その時、祭壇の下から背中が真っ赤の大蛇が祭壇の下から飛び出してきたのです。ゼウスの使いだと思われる大蛇は、近くのプラタナスの木へ這い登り、木のてっぺんにあった雀の巣から、雛8羽を食らい、母鳥も食べたのです。直後、蛇はゼウスによって石に変えられました。

 この奇怪な出来事を見て、すぐに占い師カルカースが神託を伺うと、「8羽の雛と母鳥の併せて9羽、これと同じ年数を戦いに費やすが10年目には必ず勝利する」というお告げが来ました。

 オデュッセウスはこのことを人々に思い出させて引き留めます。

 さらに弁舌の巧みなネストールも加勢します。

ネストール
・みんな口先だけでわめいてみっともないぞ。そうやってるから(勝利への)何の手段も見つけ出せないのだ。
・アガメムノーン、あなただけはしっかり指揮を執ってくださいね。
・我々が船出したとき、ゼウスが稲妻を光らせたじゃないか、あれも我々の勝利の良い兆しだ。
・誰も家に帰ろうとしないこと。ヘレネの一件の仕返しをするまでは。
・(アガメムノーンへ)軍の中で、兵士たちをその元の民族部隊ごとに整列させて、その中で助け合いが為されるようにしなさい。そっちのほうが誰が弱虫か勇敢かがわかるだろう。

 アガメムノーンもネストールの言葉に納得し、彼をほめたたえた後、皆に戦の前の昼食を取るよう指示します。槍や盾の手入れ、馬や戦車のチェックも命じます。
 昼食の後、激しい戦いが待ってる! そう兵士たちを鼓舞し、兵士たちは高らかに雄たけびを上げ、無事士気を取り戻しました

いざ、戦いへ

戦いの前、ゼウスに捧げる儀式

 戦士たちは各々の集まりで昼食を食べ、各々の国で祀っている神へ祈りを捧げました。

 一方アガメムノーンは、5才になる立派に肥えた牛を贄にして、ゼウスへ祈りを捧げます

 儀式にはネストール、クレーテーの王イードメネウス、サラミスの領主の子であり武勇ではアキレウスに次ぐ大アイアース、ロクリス地方の王でありアキレウスに次いで足の速い小アイアース、ティリュンスの王ディオメーデースオデュッセウスが集められました。
 またアガメムノーンの弟で、スパルタの王メネラーオスも自発的にやってきました。

(大アイアースと小アイアースは、同じ名前の別人で、二人を区別するために大小を分けて呼ばれています。しかし、ここでは二人合わせて「両アイアース」と呼ばれています)

 さてアガメムノーンたちはゼウスへの儀式を定式どおりしっかりと行い、祈ります。


 しかしそんなことはされても、もうトロイア側に有利なるようにすると決めてしまっているので、贄は受け取りますが、願いを聞き入れるつもりはゼウスにはさらさらありません

ギリシア軍、出陣!

 そうとは知らずに、儀式を完了したアガメムノーンたちは、ネストールの声掛けで、すぐにでも戦を始めようと意気込み、一般兵士たちを呼び寄せるよう伝令係に言いつけます。

 兵士たちは武装し列を組みます。彼らを鼓舞しようとアテナはアイギスと呼ばれる尊い楯を掲げながら、隊列の間を通って励ましました。
 兵士たちの心の中には闘志がメラメラと湧き立ちます。家に帰るよりも戦の方が楽しいとさえ思えてくるほどです。

 トロイア地方の平野にギリシア軍たちは進んでいきます。

 彼らの武具の煌めくさまは炎に、人数の多いさまは鳥の群れや季節が巡って生え出る木の葉や花、その勢いは、羊の乳が取れる季節に羊小屋の辺りをブンブン飛び回る蠅にもたとえられています。

 夥しい数の兵士の中で、ひと際目立つのがやはりギリシア軍の総大将のアガメムノーンです。

 面貌や頭はゼウスに、腰のあたりは軍神アレスに、胸元は海神ポセイドンにそっくりと描写されています。
(第一巻の犬のような恥知らずの面貌からはえらい違いですね)

詩人、ムーサたちに願う

戦士たちの名を教えてくれるよう願う

 早速戦いが始まろうとしていますが、『イーリアス』の語りはここで、一旦中断し、物語を語っている詩人が、詩歌や芸術を司る女神ムーサたちに願う様子が挿入されます。

 第二巻の後半は、どのような人たちが戦いに参加しているかの紹介になっており、たくさんの名前が語られますが、そのたくさんの名前をムーサたちに教えてくださいと頼むのです。

詩人の言葉はムーサたちによる言葉

 この箇所に限らず、叙事詩は全て、詩人たちの頭の中にムーサが言葉を下ろしてあげたものとされています。

 本当に過去にあった出来事を、まずムーサたちが詩人へ語り、詩人から聴衆へと伝えていく流れです。


 物語は詩人の作ったフィクションなのではなく、詩人を通して、ムーサという女神たちから聞く真実の物語という認識でした。
 詩人は公演のたび、一回一回ムーサたちから物語を教わって、人々に語るのです。

 そのため今回も、これから戦士たちの紹介をするにあたって、ムーサたちがきちんと自分に教えてくださるように祈っているのです。

前半まとめ:勝てると思い込んでいるギリシア軍

 前半は、ゼウスによって仕組まれた嘘の予知夢をアガメムノーンが信じ切って、ギリシア軍が出陣する流れです。
 紆余曲折ありましたが、アテナとオデュッセウスたちのおかげで皆やる気に満ちています。

・アガメムノーンが見た「ギリシア軍が今日トロイアを攻め落とす」という夢は嘘
・しかし、信じ込んでギリシア軍は意気揚々と出陣
・ゼウスはアキレウスの名誉のため、未だトロイア側に加勢。

 さて第二巻の後半は戦士たちの紹介が大部分を占めています。引き続き、そちらもさっくりとまとめてみようと思います。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

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