大学院入試の終わりたること

 大学院入試が終わった。約一週間前の出来事である。

 当然、私の今後の進路を決める重要な出来事であったため、三ヶ月ほど前から意識は入試に注がれてやまず、出願資料を作成しだした五月半ばからは特に頭の中は入試の事でいっぱいになった。

 まだ結果は出ていないとは言え、一応終わりはしたのだからこうして久々にブログを更新しているのである。

 ブログを読み返してみると、四月頃までの自分の必死さに幾ばくか冷めた視線と、それゆえの憐憫の念まで湧き出てくる。
 そう言えば私は学費やら生活費やらを稼ぐためにブログを始めたのだった。無論、自己顕示欲も多分にあった。

 大学院入試に際してブログの更新が止まっていたが、その最中にぼんやりと考えたのは無理をしないほうがいいと言うことである。何事もそうだが。

 一言で言うと、今までの記事での更新は持続不可能だったのだ。ノットサスティナブルなのだ。みんなにウケそうな内容を書くのに無理をしていた。

 もちろんブログは多くの人に読んでいただきたいし、「稼げるブログ」「ブログで生計を立てています」というのは憧れである。とはいえそのような状態は常に、持続や継続の先にあるものであるというのも必然である。

 もう良い。様々な方法を試していく。それだけの話だ。
 そういうわけで、ここまで過去記事への振り返りを述べるのがあまりにも長くなったが、私は自分の筆が進むままに大学院入試の備忘録でも書き連ねておこうと思う。

 私の受けた試験は、時期からも察しがつくとは思うが、いわゆる「推薦試験」である。
 推薦試験では、合格をいただければ絶対に入学しますという誓いのもと出願する。同時にほとんどの大学で推薦の条件がもうけられている。そのため倍率は一月二月頃に行われる一般入試よりも圧倒的に低い。基本的に内部進学生向けのもので、外部生は一般入試がオーソドックスだそうだ。何人取るつもりかわからないが、試験室に出揃った志願者は私入れて三人だった。

 試験は午前と午後とに分かれていた。
 午前中は外国語(大多数が英語を選択する)で各専攻に関わる論考を読み、日本語で小論文を作成するという筆記試験だった。これで英語の力と、各専攻への基礎知識、論理的思考力をいっぺんに見ることができるそうだ。
 午後の試験は、事前に提出していた研究計画書に基づく口頭諮問である。名前を呼ばれドアを開けると、そこには教授勢が五人ずらりと横に並び、受験者の席に対峙している。受験者はその圧に耐えながら三十分ほど答え続けなければならない。

 私は今のところ英語が苦手だ。さらっと読もうとしてしまい、深く意味を理解できない。読み終えてもあまり覚えていない。

 勉強はしていった。しかし自信はない。小論文を書くのが日本語で良かった。英語で読み、英語で書くともなれば、白紙提出もあっただろう。だから、とりあえず何かしらは書けたと自分を励ましている。

 口頭諮問はというと、そこまで苦しくはなかった。
 私は就職活動で想起するようなガチガチの面接は苦手だし嫌いだ。背筋とか服装、言葉遣いとかいう表層に現れてくるものに重きを置かれると困る。
 研究計画書に基づいて進んでいくので、この点は己の興味のあることを聞かれるのだから、そこまで詰まったりまごついたりはしなかった。そういう場面があったとしても、最終的にはぽつぽつと答えられた。

 受験した大学は駅から敷地が広く駅から相当の距離を歩く。行き同様に帰りもバスに乗った。バスには試験終わりの学生が多く詰め込まれ、右真横から差す容赦ない日光にガラス越しでも焼かれていた。
 その熱さから逃れるように俯いて、前に抱えたリュックサックに顎を置いた。
 思い出すのは口頭諮問でのとある一コマだった。

 私対教授×5。
 ドアを開けて飛び込んできた圧巻の光景。私は勇者パーティに取り囲まれた序盤モンスターの気持ちになった。希望指導教授が真ん中に座っていたから彼が勇者様かもしれない。うむ、勇者というのはおしなべて癖のある雰囲気を纏うものだ。

 まずは鉄板の志望理由を聞かれこちらがいくらか話す。その後は先生方が端から順番に気になった点を聞いてくる。そんな流れだった。

 何か質問が複数一気に投げかけられ、頭がぐるぐるし出していた時、床に黒い点がぽんと浮かんでいるのに気がついた。

 ゴキだ!

 すぐにわかった。
 別にそこまで大きくない。ミドルゴキ。そしてそいつはサカサカ動きもしない。むしろじっとしている。ゴキブリの恐ろしさなど、あの俊敏な動きに全て帰するのだから、大して怖くなかった。

 それでも私はその存在に言及した。教授勢の意識は一斉にそちらに向いた。突然のゲスト登場に場の空気が解けきる。そして左から二番目の教授__ちょうどその時私に質問していた__が一発で踏み殺した。

 あのゴキブリは、一切動かなかった。突然に現れたと思えば、殺されるまで大人しかった。

 まるで殺されに来たみたいじゃないか。

 バスの座席で、視界をリュックのナイロン布と垂れ下がる髪の毛でいっぱいにしながら、私は彼を悼んだ。
 私はこういうような無償の愛に滅法弱いのだ。

 まあゴキブリの真意などわからないのだけど。

 追伸:投稿したつもりでできていなかったようだ。記事執筆からさらに二週間ほど経過した。無事、合格していた。

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